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歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

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國軍武器事情:ブレン軽機関銃 (布倫輕機槍/七九勃然)

 

カナダでの生産と輸出

 

 太平洋戦争勃発後、連合国となった中華民国向けに対しては、英国よりレンドリースの一環としてブレン軽機関銃も輸出されています。ただし、中華民国向けブレンの生産はカナダのジョン・イングリス社工場で行われており、その生産は1943年10月から始まります。(ジョン・イングリス社では他にも44年から中華民国向けブローニング・ハイパワーの生産も行っていました。)

 

 

英本国および英連邦諸国向けのブレンMk.I

 

 

 

 

中国向けのブレン

 

 

 

 中国に輸出されたブレンは、型式としてはMk.IIをモデルにしたものが主だったと言われています。(Mk.Iでは照門の調節がダイヤル式だったのを、起倒式に簡略化したのがMk.IIでした。)

  対中輸出型のブレンは当初4万挺生産される計画でしたが、日本の降伏により計画より少ない数で生産が終了しました。

 

 これら対中輸出型ブレンで特筆すべき点は、使用弾薬が.303ブリティッシュから7.92mm×57マウザーに変更されていたことで、中国国内の弾薬事情に合わせた改修が行われていました。またブレンは.303ブリティッシュ弾の形状により湾曲した30連マガジンでしたが、マウザー弾を使用することや中国に広く配備されているZB26との共用を企図してZB26規格の箱型20連弾倉になっています。

 

 

 

 

 中国仕様ブレンは使用弾薬から「七九勃然」と呼ばれていました。「勃然」(カッとする/ムカっとする/力強く)はピンインで表記すると「bó rán」ですので、BRENと発音が似ているため語呂合わせで付けられたニックネームかと思われます。

 「加拿大造」はカナダ製の意味

 

 

 なお計画では予備銃身が2万本、弾倉が約17万個生産される予定だったので、単純計算では予備銃身は2挺に1本、弾倉は1挺につき約4個生産される計算になります。この点からしても、この中国仕様ブレンは既存のZB26と同規格の弾倉を使用したものと思われます。

 

 ブレンはもともと7.92mm×57弾のZB26(ZB27)を英国向けに改修した銃なので、こうした中華民国向けの改修は先祖返りのような性格がありました。

 

 

 

 中国仕様ブレンの弾薬箱で、この中に弾倉を10個入れて携行しました。ZB26型の弾倉は.303弾の30連弾倉より小さいので、英国向けブレンより小型の箱になっています。

 漢字表記の七九勃然だけではなく、右のような英字刻印もあったようで、表記も「BREN 7.92mm」になっています。

 

 なおこの7.92mm×57弾はドイツの弾薬でありながら、英国やカナダでも生産されて中国に輸出されていました。これには英戦車の車載機銃であるベサ機関銃(元はチェコのZB53)が7.92mm×57弾を使用していたため、生産ラインを新設することなく供給ができた事情がありました。(英国としてはZB53の使用弾薬を.303弾に変更してベサ機関銃を採用したかったものの、ヨーロッパ情勢の緊迫化に間に合わないとして断念していた経緯がありました。)

 

 

 

 

 

 三脚も輸出されていたようです。

 

 

 

 

 

  1943年8月にカナダのジョン・イングリス社工場にて、ブレンの生産100,000挺達成記念セレモニーに参加する中華民国の駐在武官

(ただし展示されているブレンが.303仕様で、時期的にも中国向けの生産が始まっていない頃なので、工場への挨拶と視察を兼ねたものだと考えられます。)

 

 

 

 

 同じくセレモニーにおけるカナダと中華民国の関係者

 

 

 

 イングリス社の工場でブレンMk.Iの完成品を視察する武官。

 奥には外交官らしき文官の姿も。

 

 

 

 

 「七九勃然 加拿大造」の刻印を施す女性工員

 銃のレシーバーにしては大きいので、何かに貼り付けるプレートでしょうか。

 

 

 

 在カナダの華僑労働者(?)が中文表記の刻印について指導しているという構図で撮られた写真でしょうか。

 西洋人が複雑な漢字表記に慣れるのは大変だったかもしれません。

 女性は上の写真と同じ人物です。

 

 

 

 

 弾薬箱を背景に撮影された工場の写真

 

 

 

 運用

 

 運用については、インドで再編成した英式部隊での使用が多かったと言われますが、朝鮮戦争での使用写真が多く残っていることから、国共内戦でも多く使用されたことが推察されます。

 

 

 

 

 朝鮮戦争でブレンを使用する人民志願軍の兵士

 内戦期に鹵獲したか、共産軍に投降・恭順した元國民政府軍部隊という経緯かと思われます。

 

 

 

 

 同じく人民志願軍

 

 

 

 

 かなり無理のある対空射撃姿勢を取っている様子。これも人民志願軍。

 

 

 

 

 

 中華民国では戦後の1952年にこのブレンを国産化し、國造41式軽機槍という名称で生産していました。

 41式では使用弾薬を米軍の.30-06弾に変更し、M1ガーランドやM1903、M1919といった米国から供与された銃との弾薬共通化が図られました。

 弾倉は同じく20連だったようです。

 

 

 台湾・金門島の古寧頭戦史館で展示される41式。 金門島にも配備されていたようです。(2014年9月)

 

 

 

 

 

 

 

 台北・軍史館で展示される41式 1955年製(2014年9月)

 

 

 

 

 

 軍史館にはカナダ製7.92ブレンもあります。

 

 

 軍史館のブレンと41式はオリジナルのニ脚ではなく、M16用のものが取り付けられていました。二脚を破損させないようにするための処置なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 一方で中華人民共和国においては、残存していたブレンのいくつかはZB26と同様にAK47(56式自動歩槍)と弾薬・弾倉を共用化できるように改造されたようです。

 

 

 

 

 

 

 なお『金陵十三釵』という南京事件を扱った2011年の映画には、なぜかZB26ではなくブレンが登場していました。(南京戦の1937年という時代設定を考えると、まだ配備されていないはずですが…)

 

 (そういえばこの映画、チャイナエアラインの機内映画にもラインアップされてたなぁ)

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國軍武器事情:ZB26軽機関銃

・ZB26軽機関銃 (ZB26式輕機槍)

20110623085152737.jpg

・概要
 第一次大戦後、各国で軽機関銃の開発が進む中、チェコスロバキアが1926年に完成させたのがZB26軽機関銃です。信頼性の高い機関部に銃身交換の容易さから優秀な軽機関銃とされ、比較的安価だったことから世界中に輸出されました。中国でも輸入および国産化がなされ、漢陽八八式中正式盒子砲と並び、抗日戦争における中国軍の代表的な武器となっています。

 抗日戦争初期においては、日本軍の軽機が6.5mm弾を使用する十一年式軽機関銃だったのに対して、7.92×57mm弾を使用するZB26の射程と威力、および稼働率の優秀さは日本側の記録などでも度々取り上げられており、「チェッコ機銃」「ブルーノ機銃」「無故障機関銃」などと呼ばれ、鹵獲して使用されたり、九六式軽機関銃のお手本になったりしたことが有名です。
 もちろん中国側でもその高性能ぶりを実感しており、兵士達から「捷克式輕機槍」(チェコ式軽機関銃)や「二六式輕機槍」と呼ばれながら親しまれていました。



P8291425.jpg
 軍史館のZB26



Japanese-ZB26-in-China-1937.jpg
 鹵獲したZB26を使用している日本兵(1937年)




・中華民国への輸入と国産化

 ZB26が開発された次の年、北伐が終わりに近づいた1927年には早くも国民政府はチェコからZB26の輸入を開始していました。チェコ本国から中国への輸出は、チェコがドイツに併合される1939年までに総数3万2272挺にのぼったとされています。
 一方で中国はZB26の国産化(ライセンス生産ではなく無断コピー)を計画し、1927年にはまず大沽造船廠でコピー製造が開始されました。(名前の通り元々は1880年以来清国北洋水師向けの艦艇を建造していた造船所でしたが、1892年からは武器の製造も行なっていました。) これに続いて他の兵工廠もZB26の製造を始めます。しかし工業規格の概念が根付いておらず、銃の個体ごとのパーツの互換性が無く、出来上がったZB26のコピー品はチェコ本国の工業規格とも異なる模造品でした。
 1902年開発のマドセン機関銃を最先端技術として、試行錯誤しながら銃器を製造していた中国の工業力にとって、高い工業技術を要するZB26の製造は困難だったのです。

 この時期に中国が導入していた軽機関銃としては、ソ連から輸入したDP28機関銃があったものの、高い工作精度と高強度のクロムモリブデン鋼を必要とする割には作動信頼性ではZB26に及ばず、またフィンランドから導入していたラティM1926軽機関銃も、作動信頼性に劣る点と銃身交換が困難な点からZB26に劣ると評価されており、国民政府としてはなんとしてもZB26の自給を望んでいたのでした。

 また現代の中国でこそ自国でレアメタルを産出できるものの、当時の中国はクロムやニッケルを輸入に頼っていました。この点において、それほど高強度の鉄鋼を必要としないマドセンやZB26は中国の鉄鋼生産事情にも合致していたと言われており、強くZB26を求める要因になったと言われています。



NRA_soldiers_firing_inside_Sihang_warehouse.jpg
 1937年の第二次上海事変・四行倉庫の戦いにおける国府軍兵士




 どうにかして規格品のZB26を国産化したい国民政府はチェコと交渉を重ね、1934年に中国人技師をチェコに派遣して技術を習得させたほか、1936年にはチェコスロバキア兵器会社(ブルーノ兵器工廠)と正式に中国国内に工場を建設することに同意します。(チェコとしては中国にVz.24(チェコ製の短縮型モーゼル)の輸出実績があったので輸出拡大の好機でもありました。) しかし工場誘致計画は翌年7月の蘆溝橋事件によって途中で挫折してしまいます。

 そのため国民政府は、中国国内の従来の製造ラインは稼働させたまま、なんとか工業技術を向上させていく方向に軌道修正することになります。
 まず21工廠(現:南京金陵兵工廠 当時は重慶に疎開して操業)において、生産工程が厳重に管理されたZB26のライセンス生産を行うこととなりました。当初は在来の非規格品のZB26のパーツを再加工したり、できるだけ削りだし加工ではなく鍛造を取り入れることで資材の3分の1以上を節約することから始めていましたが、1942年ごろには規格の統一されたZB26を安定的に供給できるようになり、41年までは年900挺だった生産量も1945年には年2900挺に大きく伸び、21工廠は日本の敗戦までに合計9313挺を軍に納入するに至っています。

 軍閥出身にして国民政府の重鎮だった閻錫山の勢力地・太原では、1935年から西北鑄造廠でZB26の生産を行うも、1937年に太原が日本軍によって占領されてしまったため工廠を四川に疎開させ、廣元分廠を設立して1941年から月産150挺から200挺程度を製造していました。

 マドセン機関銃の製造ラインを建設するはずだった昆明の51工廠では、日本軍の援蒋ルート爆撃による生産設備の喪失のため、急遽生産ラインをZB26に切り替え、日本の敗戦までに15000挺弱のZB26を生産しました。

 変わったところでは、1938年にチェコ式の製造設備を入手してZB26を生産していた浙江鐵工廠において、ガスパイプを円柱状から角柱型にした生産簡略化型(七七式機槍)を月産60挺のペースで生産していたとされています。



chinese nationalist army soldiers in the marco polo brigde (july 1937)

 キャプションによると「1937年7月に盧溝橋に展開する兵士」とのこと。この説明通りだとすると盧溝橋事件の前後なので当地に展開していた宋哲元の第29軍の兵士かと思われます。




China-soldiers-German-trained-px800.jpg
 徳式(ドイツ式)部隊における訓練写真
 ZB26の射手の隣にいる装填手は、バンダリアからC96等の拳銃を携行していることが予想されます。



667d1532.jpg
 同じく徳式部隊における訓練写真
 こちらの装填手は腰のマガジンポーチ、手元の様子から小銃を携行していると思われます。




140dct0.jpg
 第8軍103師308團第3營の訓練において将校がZB26の操作を指導している写真(1945年3月)
 この第8軍103師は1944年に拉孟の戦い(寡兵の日本軍が玉砕した戦いで有名)にも参加している、雲南遠征軍の一部でした。
 遠征軍に多い特徴として、襟章などの徽章が無く、さらにこの兵士たちは帽章も付けていないように見えます。将校が服と異なる兵用生地の帽子を被っている点、また雑多なベルトやゲートル、靴の着用が見られます。





zb26ustrainer.jpg
 ZB26の操作訓練を視察する米軍のHaig Shekerjian准将



british equiped chinese soldiers using a bren light manchine gun (china 1942)
 部隊章から185師の所属、また襟章から射手が上等兵だと分かります。皿ヘルに青天白日の徽章がついています。1942年3月に長江上流地域で防衛についていた185師の兵士とのこと。185師は武漢を警備していた歩兵旅からなり、蒋介石警衛部隊のひとつに数えられる精鋭師団でした。



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長江の南岸付近の陣地における兵士。 夏服を着用しています。



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 軍史館に展示されていた「パフラヴィー朝イラン帝国空軍の将軍から中華民国軍の将軍に寄贈されたイラン製ZB26」
 どの時期に寄贈されたのか不明ですが、イラン帝国空軍そのものは1920年から存在しています。
(余談ながらイランはGew98などドイツ製小銃をライセンス生産していたり、戦後も7.62mm弾仕様のモーゼルを製造していたりしました。)




1324524101929_232.jpg

 ZB26はその後も朝鮮戦争で使用された他、人民解放軍ではこの写真のようにAK47(56式自動歩槍)の弾薬とマガジンを使用できるように改造したZB26を80年代まで使用しています。(手前がAKマガジンのブレン軽機関銃、奥がAKマガジン仕様のZB26)
 現在、抗日戦争を描いたドラマや映画で登場するのはこのAKのマガジンがついたZB26であることが多いです。



参考
http://club.china.com/data/thread/1013/2735/50/47/9_1.html
http://zh.wikipedia.org/wiki/ZB26%E5%BC%8F%E8%BC%95%E6%A9%9F%E6%A7%8D



國軍武器事情:マドセン機関銃

・マドセン機関銃 (麦德森機槍)

丹麦造麦特森轻机枪

 マドセン(Madsen)機関銃はデンマークのマドセン社が開発した軽機関銃で、1902年にデンマーク軍に採用されたほか、日露戦争でロシア軍が用いたり、第一次世界大戦ではドイツ軍に採用されていました。この銃は高価で射撃速度が毎分450-500発とやや遅いながらも、堅実な設計で戦略上有用な軽機関銃と評価され、第一次大戦後は12種類にわたる口径のバリエーションを揃え、30カ国以上に輸出されました。中国もその顧客のひとつで、当初の顧客は1916年以降各地で割拠・台頭してきた軍閥であり、1929年に国民党による北伐が完了するまでこの傾向が続きます。



技师在试验工厂所制造的丹麦麦特森轻机枪,小图为石井兵工厂车间

 中国ではこの機関銃を自給しようと、1908年に広東兵工廠でコピー生産が試みられたようですが、少数生産に終わったとされています。(おそらく当時の中国の工業力では満足のいく模倣が難しかったのでしょう。)




1921年石井兵工厂大门(也曾称广东兵工厂等

1921年の広東兵工廠



 北伐完了後、中国を統一した国民党政府はデンマークから3300挺のマドセンを輸入する契約を取り交わし、1938年3月から1940年3月にかけて中国に届けられたと言われています。中国向けのマドセンは7.92×57mm弾仕様で他のモーゼル系小銃との弾薬の共通化を図り、マガジンは32連を用いたようです。国府軍では、当時すでに生産と配備が軌道に乗り始めたZB26の20連マガジンと比較し、マドセンの旧式化を認めつつも火力はZB26より有利と判断していたようです。
 
 輸入に続いて、国民政府はデンマークとマドセンの正式なライセンス生産契約をかわし、1938年の後半にはデンマークはマドセンの製造設備および図面の売却にも同意することとなります。1939年4月には昆明に第51兵工廠を建設し、1000台の工作機械を発注して準備を整えていました。この時期の沿海部の主要都市は日本の占領下だったため、安全な雲南の昆明に疎開する形での工廠建設でした。第51兵工廠はビルマの援蒋ルートからの資材調達によって月産500挺のマドセンを生産できる程度の生産能力を確保できるはずでしたが、1939年5月と1940年6月の日本軍によるビルマ援蒋ルートの爆撃により、集積所に保管され輸送を待っていたマドセンの生産設備や図面が破壊され、計画の実行が困難になってしまいました。デンマークから再度取り寄せようかと検討されたものの、すでにデンマークはドイツの占領下にあり、日独伊三国同盟の発効によってマドセンの生産体制の構築は不可能になりました。第51兵工廠はその後ZB26の生産に切り替えて操業を続けています。




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中国人民革命軍事博物館で展示されているマドセン



参考
http://club.china.com/data/thread/5688138/2720/88/15/5_1.html
http://club.china.com/data/thread/1015/2732/00/05/5_1.html

國軍武器事情:ドイツ製拳銃とその他の拳銃

ドイツ製拳銃


・ルガーP08 (魯格手槍) 

IMGP2261.jpg

中徳合作や商用で移入されていたのだと思われます。
左のような砲兵型も持ち込まれていたようです。





・モーゼルM1910/M1914/M1934 (毛瑟1910/1914/1934手槍)


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6.35mm (.25ACP)弾仕様や、7.65mm (.32ACP)弾仕様、スライドの形状などによってそれぞれ名称が異なりますが、比較的まとまった数が移入されていました。M1934は本国ドイツでは警察向けに44万挺が製造され、戦中は海軍や空軍で使用されていました。



・ワルサーPPK (瓦爾特PPK手槍)

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写真はドイツから国府軍の高官向けに贈呈された装飾モデル

ワルサーPPおよびPPKが中国にどれだけ移入されたか分かりませんが、写真のように中徳合作における贈物などとして渡っていたりするようです。





・諸外国製拳銃

・レベルM1892

法國贈徐信的陸伯1892式轉輪手槍

フランス軍のリボルバー。 騎乗での使用を想定してシリンダーを右にスイングさせる珍しい形式。
あるにはあったようです。フランス軍の武器は小銃や軽機関銃なども輸入されています。



・十四年式拳銃

IMGP2259.jpg

 十四年式拳銃やその他南部式系列の日本製拳銃も、戦前から中国に輸出されており、また中国国内でも弾薬と共にライセンス生産がされていました。鹵獲品やコピー生産品も含めてまとまった数が使用されていたようです。
 (ちなみに南部式・十四年式の現地生産型と言われる北支十九式拳銃は、日本占領下の北京で生産されたものです。)


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 南部式自動拳銃、ベビーナンブの姿も。







・その他特殊な拳銃


・FP-45リベレーター (FP-45解放者手槍)
P8291406.jpg

 アメリカがレジスタンス支援用に開発した簡易拳銃。
 .45ACP弾を単発で発射するもので、当初はヨーロッパへの空中投下が検討されていたものの結局実行されず、かわって中国やビルマ方面に大量に投下されました。これによって現地における抗日活動を支援しようとしたようです。そのうち日本の占領地域に誤投下されたものが日本軍に鹵獲され、その後に日本軍からこの銃を押収したアメリカ兵が、あまりの粗雑さから日本兵の自決用と勘違いしてしまったエピソードが知られています。




・ウェルロッド消音拳銃

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 イギリスが開発したボルトアクション式消音拳銃。戦時中の使用状況は不明です。




P8291401.jpg

 中国国内で製造されたペン型ピストルや、アメリカ製の特殊拳銃など。暗殺や工作員用だと思われます。




國軍武器事情:アメリカ製拳銃(回転式拳銃)

・左 H&R .22LRリボルバー
・右 コルト オフィシャルポリス .22LR

IMGP2250.jpg

上の写真はどちらも.22LR弾を使用するリボルバーです。
弾の威力からしても、軍用というよりは警官用拳銃が主だったものと思われます。



400px-ColtOP5.jpg
(Colt Official Police .38Special)

コルトオフィシャルポリスは1927年に生産された拳銃で、.32や.38スペシャル、。41ロングコルトなど各種弾薬型が生産されており、アメリカの法執行機関で使われたほか、第二次大戦中には自動拳銃不足を補うために米軍でも使用されています。
ただ同時期にコルトは法執行機関向けにポリスポジティブも生産しており、米国ではこちらのほうがメジャーだったようです。

こうしたアメリカの警官向けリボルバーは中国でも警官が用いていたほか、軍用でも後方任務の護身用などに用いられていたものと思われます。

400px-B_or_B_4.jpg

映画におけるアメリカの戦間期の警官




・左 コルト ニューアーミー&ネイビー
・右 コルト M1917


IMGP2251.jpg

 コルトニューアーミー&ネイビー(Colt New Army&Navy)は軍用拳銃としてM1889、M1892、M1894、M1895、M1896、M1901、M1903、M1905と多数のバリエーションを持つほど成功した拳銃だったものの、軍において使用弾薬の.38ロングコルト弾の威力が疑問視されるようになると、米軍ではコルトM1909のような.45リボルバー、またM1911のような.45ACPの自動拳銃にとってかわられ、警察においても上記のコルトオフィシャルポリス(.38スペシャル)に置き換えられてしまった拳銃でした。この余剰分が中国に流れたものと思われます。


 コルトM1917は第一次世界大戦に参加したアメリカが、M1911の生産が追いつかないため急遽同じ.45ACP弾を使用するリボルバーとして生産させたもので、同じ理由で製造されたS&W M1917と共に米軍で使用され、第二次世界大戦でも初戦においてパイロットや海兵隊で使用されていました。 自動拳銃用の.45ACPは薬莢にリムがないため、リボルバー用としてはエジェクターにひっかからないため排莢する上で都合が悪く、急遽ハーフムーンという補助器具が作られています。
 中国には援助物資として贈られたようですが、コルトM1917の記述はあっても、S&W M1917に関する記述が見当たりませんでした。何らかの理由でコルトM1917だけが支給されたようです。




・S&W M10

ミリタリー&ポリスの愛称でよばれる.38スペシャルを使う軍用・警察用リボルバーです。
後方任務向けに米軍でも用いられています。
42年から44年にかけて生産されたものはシリアルナンバーのVをとってビクトリーモデルと呼ばれ、イギリス カナダ オーストラリア ニュージーランド 南アフリカにレンドリースされています。
ビルマなどの英式・美式装備部隊でも装備されましたが、戦前に輸入されており国産化もされています。(下記参照)


#20822;州#25112;役#32564;#33719;国民党#20891;旅#38271;#23385;#28949;才的美国史密斯-#38886;森#36716;#36718;手#26538;

#21016;少奇在解放#25112;争#26102;期使用的美SW#36716;#36718;手#26538;(解放戦争期)

#26472;尚昆使用的#36716;#36718;手#26538;32口径(解放戦争期)

これらは国共内戦期に国民党軍から共産党軍によって捕獲されたもの。




・国産型38口径リボルバー

中国で製造された、上記のS&W M10の国産型です。




P8291397.jpg

軍史館にて(2012)





國軍武器事情:アメリカ製拳銃(自動拳銃)

国府軍で用いられたアメリカ製拳銃の一例です。

アメリカによる国民政府支援以前から輸入や私費購入するなどして中国に流入していました。
山西軍閥ではトンプソンM1928と弾薬の生産も行なっていたように、地域によっては戦前でも45口径弾の自給も不可能でした。





・M1911 (M1911手槍)

P8291411.jpg






・コルトM1913

P8291410.jpg


 説明文によれば『38口径を使用するコルトのM1913』とされているのですが、外見的にはM1911A1に見えます。そういうバリエーションがあるのでしょうか。

 ちなみにM1911A1は中国では『45手槍』と呼ばれ、日中戦争中期以降の米軍の援助で供与がはじまり、美式部隊などで使用されています。国共内戦期の50年代まで供与を受けており、『T51手槍』として現在も台湾では戦車兵等の自衛火器や二線級火器として用いられています。








・コルトM1903

P8291388.jpg

 32口径の自動拳銃であるコルトM1903も日本軍同様、中国でも私費購入などで使用されました。




湖南#33463;江受降#26102;美#20891;中将麦克#40065;送#32473;王耀武的美国造柯#23572;特M1903手#26538;

 これは抗日戦でも活躍した国民党の将軍だった王耀武が米国から寄贈されたもので、戦後の国共内戦期に共産党軍に降伏した際に渡ったものだそうです。






・サヴェージM1907/M1917
Savage1907.jpg

これまたドマイナー銃です。 アメリカのサヴェージ社が作った拳銃で、1907年のトライアルでコルトに敗れたのちに市販された拳銃です。
弾は32口径10連発で、他の銃と弾の共用ができたため中国での使用も問題なかったのでしょう。
M1917は9mmパラベラムバージョンがありました。

どの程度使用されたのかも未知数な銃です。




國軍武器事情:M1900/M1910/M1922 FN系拳銃

国府軍でも日本軍将校と同じく、ブローニングM1900系の自動拳銃が多く使用されました。



・FNブローニングM1900


#36154;#40857;使用的M1900式勃朗#23425;手#26538;

 1900年に発売されたFN社の小型拳銃で、日露戦争では高級将校を中心に日露両軍で使用されたり、1909年の伊藤博文暗殺で用いられた銃としても有名です。
 またこの銃のために.32口径の弾薬が開発されるなど、銃器史においても大きな影響を与えた銃でした。



1292294864478_128.jpg


 中国では輸入のほかコピー生産も行われており、金日成が抗日パルチザン時代に愛用していた銃でもありました。



#27982;南#25112;役中#32564;#33719;王耀武的比利#26102;造勃朗#23425;M1900手#26538;

 こちらは戦後直後の人民解放空軍で用いられたもので、ボタンに解放軍の星マークがあったりするのですが、戦中も同じようなデザインのホルスターが使われていたかは分かりません。


(上写真は中国人民革命軍事博物館HPより)




・ブローニングM1903

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 終戦直後の1945年の上海における中国警官





上:トルコ製 FNブローニングM1910
下:ベルギー製 FNポケットモデルM1906(FNベビー/ブローニングベビー)

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 日本軍の将校でも人気のあったこれらの小型拳銃は国府軍将校でもよく用いられました。
上のM1910はトルコ製で、ベルギーからの輸入だけでなくトルコ製の拳銃も数多く導入されています。
(ブローニング系の拳銃はベルギー以外でもトルコ、ロシア、スウェーデン、パラグアイ、エストニアなど世界各地で生産されていました。)





・上:ベルギー製 FNブローニングM1922
・下:トルコ製 FNポケットモデルM1906

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 M1910を大型化したM1922も使用




・国産ブローニング

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 金陵製造局(寧局)などで製造された国産型



(写真は台北國軍歴史文物館にて)

國軍武器事情:FNブローニング・ハイパワー (白朗寧大威力手槍)

 国府軍で用いられた拳銃のひとつとしてブローニングハイパワー(白朗寧大威力手槍)も挙げられます。


 当初はFN社のあるベルギーから購入する形で入っていたようです。

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 このようにストックを取り付けられ、タンジェントサイトになっていたりと、全体的にモーゼルのような雰囲気だったためか、中国軍にはこのタイプが好評だったようです。(武器の充足率や運用思想、平原の多い中国固有の事情もあるかと思いますが。)
 このタンジェントサイト、一見無意味なものに見えますが、ストックを併用して2~300メートル先にも有効弾を撃つことができたという話も。(必ずしも命中弾というわけではではなく)



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 カナダ製のハイパワー

 1940年にベルギーがドイツの占領下におかれると、FN社のスタッフはカナダに脱出します。その後1944年秋に現地のジョン・イングリス社で再びハイパワーの生産を行います。俗に言うカナディアンモデルです。
 カナディアンモデルというと固定サイトに簡略化されたモデルが想像されますが、主に中国への輸出を想定してタンジェントサイトとストックを付けた従来モデルも並行して生産されていました。

 固定サイトのカナディアンモデルでは、グリップ前側にカナダの国章と、英語・ロシア語・中国語でそれぞれ「カナダ」と書かれた刻印があり、固定サイト型も中国へのレンドリースを想定して生産されていました。




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 また最初から中国向けに生産されたハイパワーには、スライド左側に『中華民國國有』と中華民国政府の国有物であることを示す刻印が施されています。



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 この刻印モデルも台湾WEから2011年に中華民国建国百周年記念としてモデルアップされています。
(ただしフルメタルという難点が・・・。)



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 ハイパワーが実戦で使われている写真を目にしたことが無いのですが、軍史館にて比較的多く展示されていました。ハイパワーは戦後台湾でも1995年にT75手槍が採用されるまで予備兵器として保管されていたため、現存数も多かったものと思われます。
 戦時中の使用状況についてはあまり資料が見つからないのですが、生産開始が44年秋と遅いこともあり、ビルマなどで限定的に使用されたものと推察されます。





國軍武器事情:モーゼルC96

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 抗戦期の國軍を象徴する武器と言っても過言ではないのが、C96などのモーゼル大型拳銃シリーズです。
 中国では、特徴的な箱型弾倉(或いは固定ストック兼ホルスターの箱型形状)から「盒子炮(ごうすほう=Box Canon)」と呼ばれました。



 これらの拳銃の導入は、20世紀初頭に中国の内戦で火器需要が高まり、ドイツなどよりモーゼルC96が大量に輸入されたことがきっかけで、その後中国国内でもライセンス・コピー生産され、多くのバリエーションが使われました。


 中国では漢陽兵工廠で1926年に作られたC96(7.63mm)を筆頭に、鞏縣兵工廠、大沽造船所、重慶武器修理所、山西軍人工藝實習廠、衡陽軍械局等など中国各地でライセンス・コピー生産され、生産量は100万挺以上と言われます。


 軍閥の閻錫山(えんしゃくざん)の支配下にあった山西省では、太原兵工廠でトンプソン短機関銃が生産されており、トンプソンで使用する.45ACPと弾薬の共通化を図るため、.45ACP仕様のモーゼルである山西17式と呼ばれるモデルも生産されました。
 (その一方でモーゼルと同じ7.63mm弾を使用するバナナマガジンのトンプソンなども作られています。) 
 これらは戦後も共産党による製造禁止命令が出るまで生産されています。


 また中国を武器市場として重視していたのはドイツのモーゼル社よりむしろスペインのアストラ社で、アストラではM900と呼ばれるフルオート機能を搭載したカスタムモデルを販売したところ、中国側からは短機関銃を補完できる武器として歓迎されて非常によく売れました。これに触発され、本家モーゼル社もM1931(M713/ライエンフォイアー)というフルオート射撃が可能なマガジン着脱式モデルを開発し、それを改良したM1932(M712/シュネルフォイアー)を中国に輸出しています。

 これらのフルオート射撃可能なモーゼル拳銃は「快慢機」(kuài màn jī 快速な機械)と呼ばれ、また20連マガジンを装着したものは大肚盒子炮(だいとごうすほう)とも呼ばれ兵士に親しまれました。「大肚」は「太った腹、でぶ」を意味しますが、連射機能と装弾数の増加で弾薬消費量が増えた点に「大肚子」(大飯ぐらい)という字を彷彿とさせるニュアンスも感じられます。

 とはいえ、さすがにフルオート射撃中の反動制御は難しく、セミオートで撃つ際でも遠距離を狙うにはストックの着用が望まれた銃なので、フルオート射撃は近距離戦や緊急時に弾幕を張る手段として使うのが有効でした。銃を横にして、反動を利用しなぎ払うように撃つ「馬賊撃ち」がその応用例でしょう。


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軍史館にて
ストック付きの1928年製漢陽造マウザー 7.63mm仕様





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こちらも國軍歴史文物館にて

このようなカービンモデルも中国で生産されています。




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徳式(ドイツ式)装備の中央軍兵士




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抗日電影における小道具の代表格です




 さらに、ソ連でライセンス生産された4インチモデル、通称"ボロモーゼル"も中国に輸出され大量に使用されています。

朱在“八一”南昌起義時使用的警用毛瑟手槍
後に人民解放軍健軍の父と呼ばれる朱徳が1927年8月1日の南昌蜂起の際に自衛用に所持していたとされるボロモーゼル




female soldier from guerrila unit armed with a mauser pistol (china 1939)
共産党軍の女性兵士(1939)



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同じく女性兵士たち。





Chinese soldiers on the battlefield in defense of Changsha, 1941
1941年に第一次長沙作戦を発動し進撃してくる日本軍に対し、防御戦闘を展開する国府軍。
奥でストック付きのモーゼルを構えている兵、また手前にもクリップ装填しようとする姿が見えます。
前から二番目の兵士はフランスのホチキスM1922軽機関銃を使用しています。



國軍武器事情:アメリカ製小銃とその他の小銃

 戦争中、アメリカを始めとする連合国は援蒋ルート等を通じて、様々な武器を中華民國に援助しました。
その中には小銃ももちろん含まれており、多くの数が使用されています。




・スプリングフィールドM1903 (M1903春田步槍)


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 軍史館のM1903A1

 アメリカによる中国支援で送られた小銃としては、まずスプリングフィールドM1903が挙げられます。
 古参兵などからは使用する弾薬から「30歩槍」、中正式に似ているため「花旗牌中正式」(アメリカ製中正式の意 『花旗』はアメリカの国旗を意味し転じて『美国』以外の呼称としても使われます。)とも呼ばれたようです。

 このような米国製小銃は、雲南における美式装備(アメリカ式装備)部隊での使用が中心でしたが、戦後も国共内戦で使用され、台湾撤退後も主力小銃のひとつとしてM14(57式歩槍)が配備されるまで使用されていました。


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 訓練中の様子 1942年から生産されたM1903A3
 米軍のベルトなども見える美式装備部隊








・エンフィールドM1917 (恩菲爾M1917式步槍)

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 M1903と並び美式部隊で使用されたのがエンフィールドM1917でした。
 エンフィールドM1917は、もともと第一次大戦時にアメリカがイギリスに対する援助として生産したM1914(P14)がベースとなっており、そのM1914をアメリカの第一次大戦参戦に合わせて.30-06弾仕様にしたものがM1917です。
 第一次大戦時にはM1903と共にアメリカ欧州遠征軍で用いられましたが、戦後余剰となって保管されていたところに第二次大戦が勃発したため、レンドリース用の武器として活用されました。
 (英国向けのM1917は、以前英国に供与した.303弾を使うP14と混同するのを防ぐために、M1917のストックに赤いペンキで帯状のマーキングがなされました。)
 再び供与するにあたって、銃のパーカー処理や木製ストックの素材変更などが行われていたようです。



Chinese soldiers getting firing instructions from Americans

伏射姿勢の訓練中の様子



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孫立人の率いたビルマ戦線の38師 小銃はシルエット的にM1917でしょうか?
上のイラストと同じく、M1ヘルメットに上空のP-40と、米国の軍事支援を象徴する姿です。
装備はP37ですが、インド製かと思います。






・M1カービン (M1卡賓槍)

 これについては、大戦中の国府軍の一般部隊での使用例はかなり限定されたものになると思います。
 ビルマに進出していた遠征軍での使用例はありますが、本土の國軍に行き渡るのは戦後になってからです。

 中国サイトによれば、米中間の中美特種技術合作所、通称SACO(Sino-American Cooperative Organization)と呼ばれる対日戦に関する情報協力協定に基づき中国国内に建設された諜報施設や組織で使用されていたとの記述がありましたが、一般部隊において多く目にするようになるのは戦後の国共内戦期以降かと思います。


chinese nationalist army soldier with a bayonet attached to his gun (china 1944)

↑こちらは戦後の写真です。


 またM1ガーランドについてですが、写真や中国側にそのような記述が見られないので大戦中は正式な使用はされていないとみてよさそうです。
 M1ガーランドは戦後になってアメリカから中華民国に援助物資として送られるようになりますが、他の多くの国産小銃・外国製小銃なども依然として使用されており、M14(57式歩槍)が配備されるまでは大戦中と変わらない雑多な小銃編成が続きました。






・リー・エンフィールド (李-恩菲爾德歩槍)

chinese nationalist army soldier and a british army indian soldier in burma, 1942

 1942年の写真で、隣に英軍インド兵がいることから、インドで再編成・訓練中の写真かと思われます。
 ただし、実戦でどれほど使用しているかについては、写真が少ないのでまだ調査中です。ビルマ方面の中国軍の弾薬事情も含めて考える必要がありそうです。(ブレンLMGなども7.92mm仕様に改造したものをカナダで製造して送っていたくらいなので)








・モシンナガンM1891 M1891/30 (莫辛-納甘歩槍)


 1920年代の健軍期のソ連との協力、また第二次国共合作にともなう国民政府とソ連の関係の改善により、国民革命軍はソ連から多くの小銃や戦車、戦闘機などを導入していました。弾薬の補給事情なども考慮すると、ソ連からの援蒋ルートに近い華北での運用がメインではないかと思われます。1941年の独ソ戦開戦以降はソ連製兵器の輸入は途絶えています。

 戦後の中華人民共和国では44年型の騎兵銃モデルが53式步騎槍として採用されています。


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・ベルティエ小銃/騎兵銃

百色起義使用的法國造M1916式步槍

 フランス軍のBerthier M1916騎兵銃。フランスからも小銃や機関銃を購入していましたが、8mmレベル弾と部品の調達を含めて、どのように配備・運用していたかは不明。


ベルティエ1916?

ニュースフィルムの國軍騎兵の映像なのですが、この中の兵士が背負ってる騎兵銃らしきシルエットの銃、もしかしたらベルティエかも?






・三八式歩兵銃など鹵獲小銃


 中華民國は工業生産力に劣ったため、装備が比較的優良な中央軍はまだしも、武器が不足がちだった地方軍や共産軍では、敵である日本軍から鹵獲した小銃も積極的に使用されました。
 また戦前から中国は日本製兵器を輸入したり、その模造品を生産していたこともあり、それらが用いられたケースもあります。


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 着剣された三八式歩兵銃と日本刀を抱えている姿からすると、日本軍との何らかの戦闘後の戦利品でしょうか?




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 宋學義と葛振林という河北の狼牙山での戦いで活躍した八路軍の兵士。
三八式歩兵銃に見えますが、ストックに何か部品がついているようにも見えます。




これらに加えて、さらに中国各地の独自生産銃もあるのですが、そこまで挙げるとキリがないので、これはまたの機会にしたいと思います。

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