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カテゴリ:国民革命軍(WWII中国軍) の記事一覧
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カナダでの生産と輸出
太平洋戦争勃発後、連合国となった中華民国向けに対しては、英国よりレンドリースの一環としてブレン軽機関銃も輸出されています。ただし、中華民国向けブレンの生産はカナダのジョン・イングリス社工場で行われており、その生産は1943年10月から始まります。(ジョン・イングリス社では他にも44年から中華民国向けブローニング・ハイパワーの生産も行っていました。)
英本国および英連邦諸国向けのブレンMk.I
中国向けのブレン
中国に輸出されたブレンは、型式としてはMk.IIをモデルにしたものが主だったと言われています。(Mk.Iでは照門の調節がダイヤル式だったのを、起倒式に簡略化したのがMk.IIでした。)
対中輸出型のブレンは当初4万挺生産される計画でしたが、日本の降伏により計画より少ない数で生産が終了しました。
これら対中輸出型ブレンで特筆すべき点は、使用弾薬が.303ブリティッシュから7.92mm×57マウザーに変更されていたことで、中国国内の弾薬事情に合わせた改修が行われていました。またブレンは.303ブリティッシュ弾の形状により湾曲した30連マガジンでしたが、マウザー弾を使用することや中国に広く配備されているZB26との共用を企図してZB26規格の箱型20連弾倉になっています。
中国仕様ブレンは使用弾薬から「七九勃然」と呼ばれていました。「勃然」(カッとする/ムカっとする/力強く)はピンインで表記すると「bó rán」ですので、BRENと発音が似ているため語呂合わせで付けられたニックネームかと思われます。
「加拿大造」はカナダ製の意味
なお計画では予備銃身が2万本、弾倉が約17万個生産される予定だったので、単純計算では予備銃身は2挺に1本、弾倉は1挺につき約4個生産される計算になります。この点からしても、この中国仕様ブレンは既存のZB26と同規格の弾倉を使用したものと思われます。
ブレンはもともと7.92mm×57弾のZB26(ZB27)を英国向けに改修した銃なので、こうした中華民国向けの改修は先祖返りのような性格がありました。
中国仕様ブレンの弾薬箱で、この中に弾倉を10個入れて携行しました。ZB26型の弾倉は.303弾の30連弾倉より小さいので、英国向けブレンより小型の箱になっています。
漢字表記の七九勃然だけではなく、右のような英字刻印もあったようで、表記も「BREN 7.92mm」になっています。
なおこの7.92mm×57弾はドイツの弾薬でありながら、英国やカナダでも生産されて中国に輸出されていました。これには英戦車の車載機銃であるベサ機関銃(元はチェコのZB53)が7.92mm×57弾を使用していたため、生産ラインを新設することなく供給ができた事情がありました。(英国としてはZB53の使用弾薬を.303弾に変更してベサ機関銃を採用したかったものの、ヨーロッパ情勢の緊迫化に間に合わないとして断念していた経緯がありました。)
三脚も輸出されていたようです。
1943年8月にカナダのジョン・イングリス社工場にて、ブレンの生産100,000挺達成記念セレモニーに参加する中華民国の駐在武官
(ただし展示されているブレンが.303仕様で、時期的にも中国向けの生産が始まっていない頃なので、工場への挨拶と視察を兼ねたものだと考えられます。)
同じくセレモニーにおけるカナダと中華民国の関係者
イングリス社の工場でブレンMk.Iの完成品を視察する武官。
奥には外交官らしき文官の姿も。
「七九勃然 加拿大造」の刻印を施す女性工員
銃のレシーバーにしては大きいので、何かに貼り付けるプレートでしょうか。
在カナダの華僑労働者(?)が中文表記の刻印について指導しているという構図で撮られた写真でしょうか。
西洋人が複雑な漢字表記に慣れるのは大変だったかもしれません。
女性は上の写真と同じ人物です。
弾薬箱を背景に撮影された工場の写真
運用
運用については、インドで再編成した英式部隊での使用が多かったと言われますが、朝鮮戦争での使用写真が多く残っていることから、国共内戦でも多く使用されたことが推察されます。
朝鮮戦争でブレンを使用する人民志願軍の兵士
内戦期に鹵獲したか、共産軍に投降・恭順した元國民政府軍部隊という経緯かと思われます。
同じく人民志願軍
かなり無理のある対空射撃姿勢を取っている様子。これも人民志願軍。
中華民国では戦後の1952年にこのブレンを国産化し、國造41式軽機槍という名称で生産していました。
41式では使用弾薬を米軍の.30-06弾に変更し、M1ガーランドやM1903、M1919といった米国から供与された銃との弾薬共通化が図られました。
弾倉は同じく20連だったようです。
台湾・金門島の古寧頭戦史館で展示される41式。 金門島にも配備されていたようです。(2014年9月)
台北・軍史館で展示される41式 1955年製(2014年9月)
軍史館にはカナダ製7.92ブレンもあります。
軍史館のブレンと41式はオリジナルのニ脚ではなく、M16用のものが取り付けられていました。二脚を破損させないようにするための処置なのかもしれません。
一方で中華人民共和国においては、残存していたブレンのいくつかはZB26と同様にAK47(56式自動歩槍)と弾薬・弾倉を共用化できるように改造されたようです。
なお『金陵十三釵』という南京事件を扱った2011年の映画には、なぜかZB26ではなくブレンが登場していました。(南京戦の1937年という時代設定を考えると、まだ配備されていないはずですが…)
(そういえばこの映画、チャイナエアラインの機内映画にもラインアップされてたなぁ)
働き始めてからあまりこういう遊びをしなくなっていますが、最近ちょこまか國軍で遊んでいたりします。
9月に身内でひさびさに國軍で分隊を編成してみた時の写真。
自分は中国に発注した軍官服を着て中尉という設定で遊んでました。
一個分隊に軍官2名というアレな編成でしたが、統一感のある中央軍ができたように思います。
兵の常服は左が比較的新しいロットのHIKI服ですが、右3名の兵は初期ロットでして、カーキの色味が微妙に異なります。光加減にもよるでしょうが、初期ロットのカーキの風合いはそこまで悪くないようにも見えます。
(諸事情で1ゲームのみでやる気を失い、この時だけの編成に…。)
かわってこちらは12月の川越でのヒスサバ時
中央軍、地方軍、共産軍等含め2桁台と、思っていたより中華勢が多く意外でした。
この時はあまりの寒さに四行倉庫籠城と称して、こうしてフィールド内の家屋に身を寄せているのですが、「四行倉庫」という戦史ネタも通じる参加者ばかりで頼もしい限りでした。
撮影タイム時にフィールド内の塹壕で抗日戰期の報道写真風のネタを撮ってみることに。
1938年 台児荘に迫る日軍に対し、國土保衛の迎撃戰を展開する國軍士兵
陣地からの一斉射撃で日軍の攻勢を迎え撃つ
近接戦に及び手榴弾の一斉投擲で反撃に応じる國軍
(統一感のある装備でこういうネタ写真が撮れたのは、予想外の収穫でした。)
塹壕で射撃するポーズを撮影した写真は、当時の写真でよく見られるシーンですよね。
サバゲの方は、素直にサバゲとして遊んできましたが、久々にやってみて懐かしさも。
このフィールドは初めてだったのですが、小山に塹壕、市街地もあって、ゲーム環境としてもエアガンの射程とマッチしていて、面白かったです。
市街地の外にある塹壕が、日本軍が共産ゲリラを締め出すために築いた遮断壕に見えなくもないので、日中戦争をテーマにしたイベントがあれば、こういうところでやってみてもいいかもしれませんね。
買ってからほったらかしだった電動ZB26も初投入。(マウザー拳銃使いたかったので、ほとんどこうやって友人に貸してましたが)
高所から撃ち下ろして、その間に歩兵が漸次市街地に突入・・・という動きがありそれっぽくて楽しめました。
いずれ有志で分隊編成して統制射撃とかもやれたら面白いだろうな、と思った次第でした。
(写真は他参加者の戴き物も交えて掲載させていただきました)