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歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

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ドイツ旅行(11) ムンスター戦車博物館(4) WW2独軍AFV&砲いろいろ

(2年前の旅行記を思い出しながら仕事の毎日を忘れたい日々)


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アゴ無し防盾と車体機銃マウントポールでA型かと思いましたが、


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A型ベースの指揮戦車型パンターでした。
無線アンテナが通常より多いのです。


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ボービントンと異なり、展示スペースに余裕があるので後ろ側もよく見えます。



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ゴリアテを念力で操縦するヨンギル師



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幌付きキューベル



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「中戦車」なのに意外と大きいと感じてしまうT34


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ライフリング


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弱点と言われる車体正面ハッチもこの厚さ
開口部から車体正面装甲厚がよく分かりますが、45mmでもガッシリとした印象。



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SPDも通常の兵員輸送型だけでなく、いくつかの派生形も展示されていました。
24口径7.5センチ砲搭載の自走砲型(Sd.Kfz. 251/9 Stummel) シュトゥンメル



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砲もよく見えますよ うひゃー



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突撃橋を搭載した工兵型のSd.Kfz. 251/7 Pionierpanzerwagen(ピオニアーパンツァーヴァーゲン/工兵装甲車)



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突撃橋の荒々しい溶接跡


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後部は幌が掛かっていて中をよく見ることができず




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ラッチュバムこと、ZiS-3 76mm野砲


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赤軍の従来の76ミリ砲と異なり、旋回・昇降ハンドルを左側にまとめて、砲手が移動目標を狙いやすくしている本格的な対戦車砲です。



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その隣にマーダーを展示するのがなんとも粋です
(ただし、これは7.5センチPak40搭載のマーダーIIIH)


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はみ出した戦闘室の床はちゃんと塞がれているんですね!



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ZIS-3との対比でドイツのPak40も並べて置かれていました。
ZIS-3と比較するとPak40はより低姿勢に作られている反面、防盾を二重にして傾斜させるなど複雑な構造なのが分かります。



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Pak35/36とPak40の間に阻まれて影の薄い5センチPak38
まだ余裕のあった時期の砲だけに、曲面防盾や凝った設計。


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ムンスターの展示では再現されていませんが、このように脚を畳む時には脚の間にさらに車輪を取り付けて三輪車状態で移動させることもできました。
(整地以外では使いにくく、生産性が落ちるということもあって、Pak38以降の砲では採用されていない微妙な機能・・・?)



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小火器のようなシンプルな照準具
目標との想定交戦距離が数百メートル以内の近距離ならこれで十分かも


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ハンドルの取手も独立して回転するようになっており、回しやすくなっています。


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砲身の中にゴミを入れた不届き者が



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砲といえばこんなキワ物も
7.5センチIG37歩兵砲 戦争後半になって歩兵部隊の重火器が不足する中、対戦車砲と歩兵砲を兼用できる軽便な砲を作れば一石二鳥では?ということで作られた中途半端な

砲身はフランス製75mm野砲から切り出したもの。当初はPak37と呼ばれ、成形炸薬弾による対戦車戦に念頭が置かれましたが、結局歩兵砲として使われることが多くIG37で定着しました。


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砲架はPak35/36もしくは同型のソ連製対戦車砲のものが用いられました。



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こちらはIII突ですが、よく見ると

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側面装甲に跳弾したような跡が
浅い角度で側面装甲に食い込み貫通を免れたのでしょうか


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かつては自走砲をたくさん作ったドイツも
現ドイツ連邦軍ではPzH2000に統一の流れなんですね


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大きい物シリーズ1


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大きい物シリーズ2
(コンバットチョロQを思い出す)



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さすがにこれの実車はクビンカです



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プラモであっさり取り付けてるこのパーツにしても、実際に見てみるとものすごい重量感と鋼鉄の質感なんですよね。



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英国鉄兜の系譜
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ドイツ旅行(10) ムンスター戦車博物館(3) 大戦初期の車輌

 

高射砲で遊ぶ人々

 

 

88の昇降装置のギアは思っていたより細身でした。

 

 

III号M型

ダークイエロー単色で塗装されていました。

 

  

こうして見てみると、歯車の凹部は塗装が一番剥がれやすいのでしょうね。

(模型でエアブラシで塗装すると全面的に塗装できるけど)

 

 

 

整備していたと思しき布が

 

 

 

予備転輪ラック

ゴムが非常に綺麗な状態(再生品?)

 

 

ムンスターのIV号はG型

DAK仕様で、砲塔の主砲の両側に視察孔(クラッペ)があることからG初期型(F2型)と言えるかも。

ハーケンクロイツの入ったDAKマーキング

 

 

戦車大国としての自負心か、自国製戦車の再生・保存に対する熱意が伝わる装備品

資料本の『アハトゥンク・パンツァー』ではムンスターのG型の内部取材写真も掲載されていましたので、内部の保存状態も完全に近いようです。

 

 

III号とIV号の区別といえば転輪の数がありますが、3×2の6輪がIII号、4×2の8輪がIV号と覚えてました。

 

 

模型だと木材の地の色で再現することが多いジャッキ台ですが、車体と同じ色に塗装されて鉄十字のマーキングが施されていました。留め具は革ベルト。

 

 

 

予備転輪ラックには「WASSER」(水)とかかれたジェリカンと工具箱(?)

ドイツ軍は燃料用と水用で区別するため、水の入ったジェリカンには白ペンキで十字線を描くと思い込んでいましたが、こういう手法もあったのかも。

 

 

車外装具品その2

 

 

クリーニングロッド、バールなど

吸排気グリルのフタがメッシュ状になってる!

 

 

実車を見て気づいたのですが、金属ワイヤーは、普通のロープや鎖などとちがって重力任せにたわんだりせず、やや弾力性を保って巻かれているんですね。

 

 

(IV号が一番好きなので、一番多く撮っています)

 

 

ティーガーI

 

 

赤茶色に錆びた履帯

ノルマンディーのスクラップヤードから回収した残骸を再生した車輌で、一部はラトビアのクーアラントで発掘したパーツを使っているとのこと。

 

 

車体側面に貫徹跡

迷彩塗装は再塗装なので、弾痕周辺の焦げ付きも塗装によるものでしょうか。

 

 

各重戦車大隊のマーキング

サッカークラブみたい

 

 

 

 

ドイツ旅行(9) ムンスター戦車博物館(2) 大戦初期の車輌

 

 続いて、WWII初期の車輌コーナー

 

 

 

 

 IA農業用トラクターこと、I号A型

 ターンテーブルの上に載せられていましたが、これはそういう機材なんでしょうか。

 

 

 

 機銃しか搭載していない訓練用軽戦車とはいえ、履帯の垂れ下がり方から伝わる重量感にご注目。

 実はヴィッカース製のコピー

 

 かなり状態が良いです。

 

 

 

 視察窓が半開きでした。

 

 

 

 1934年から41年まで生産された6輪トラックの「クルップ・プロッツェ」

 

 

 

 

 予備タイヤラックを座席側面の壁面にしてしまう構造が面白い車輌です。

 

 

 

 

 敵機の活動圏内での夜間移動時などに用いる防空灯(ノテックライト)

 光が上に漏れないようにフードを被せ、車体前方約10mのみを限定的に照らす装置です。

 1/35でこれを完全に再現するのは目が疲れそう。

 

 

 

 

 前照灯と別に、運転手席の側に設けられたライト。

 

 

 

 

 荷台の壁は木材を鉄製の枠にはめ込んで作られています。

 

 

 

 

 兵員室 かなり簡素な作り

 

 

 

 

 後ろから覗いたサスペンション周り

 

 

 

 

 チェコのシュコダ1937年型37mm対戦車砲

 

 ドイツでの名称は3.7cm Pak37(t)

 胡椒ビンのような特徴的な多孔式マズルブレーキ

 

 

 

 

 フランスのホチキス25mmやスウェーデンのボフォース37mmと同じように、防盾の上端が波型にカットされています。これはシルエットを茂みなどに溶けこませ非発見率を下げるためのものでした。(直線的なラインは人工物っぽくて目立つので)

 

 ドイツのPak37mmと比較すると、ゴムタイヤのない車輪ということもあって、簡素な印象を受ける砲です。

 

 

 

 

 脚は角型で意外とガッシリ。

 

 

 

 

 ドア・ノッカー、または聴診器ことドイツの3.7 cm PaK36

 貫徹能力の不足を補うために43年に採用された成形炸薬弾Stielgranate 41を装着しています。

 

 

 

 

 車輌による牽引を前提とした大型のゴムタイヤ付き車輪

 

 

 

 

 移動目標を狙いやすいように、昇降・旋回のハンドルは砲手のいる左側にまとめられています。

 

 

 

 

 脚は閉じられていましたが、ズッシリとした重量感。

 こういう点はプラモデルではなかなか実感が沸かないものです。

 

 

 

 

 防盾の厚み 榴弾片や拳銃弾くらいなら防げそう

 

 

 

 

 これもまた直線を廃したデザイン

 砲手側が一段高いのは、砲手が照準する時の姿勢がやや高いからなのでしょうか?

 照準孔に目の位置が来るとして、頭全体を隠せるようになっているのかもしれませんね。

 

 

 

 

 II号戦車は砲塔のみの展示。

 中に入れました。車内装具が撤去されていたこともあり、意外と大きかった印象

 

 

 

 

 初戦でドイツ装甲師団の主力を担ったチェコ製LTvz.38、所謂38(t)戦車。

 これはS型で、もともとスウェーデン向けだった車輌をドイツが接収したものです。

 

 

 

 Wilde Sau(荒くれ猪)号、心意気は猪突猛進といったところでしょうか。

 丁寧にカットと接合がなされた装甲板が綺麗です。

 

 

 

 

 砲塔の大量のリベットが、戦車開発勃興期の味というか、東欧っぽいというか、宮﨑駿っぽいというか、つまりカッコいいです。

 

 

 

 

 前面装甲板をよく見ると、小火器の弾痕らしきものが。

 

 

 

 

 

 履帯と転輪の構造も、ドイツ戦車と違った風格。

 遊動輪のデザインはいかにも機械という感じ

 

 

 

 

 ゴムの一部が摩耗していますが、全体的には良好な保存状態

 一部別のG型の車輌パーツを使っているとか。

 

 

 

 38(t)の上部支持輪は車体前方に2つのみで、履帯の後半は垂れ下がっています。

 

 

 

 

 エンジンデッキは意外とスッキリ

 

 

 

 

 

 リベットだらけのメカメカしい全体像に反して、後ろもスッキリとした印象。

 一部リベットが抜け落ちてます。

 

 

 

 

 

 操縦手席の視察窓

 展示車両には防弾ガラスははめ込まれていなかったです。

 

 

 次は戦中、後期の車輌へ。

 

ドイツ旅行(8) ムンスター戦車博物館(1) ムンスターへの道

(2013年9月7日のことなので、記憶も薄れる前に)

 

 4日目はムンスター戦車博物館へ

 卒業旅行でボービントンを訪れて早くも翌年はムンスターです。これも中学生の時にアーマーモデリングで存在を知ってから、行ってみたいと思っていた念願の場所でした。

 

 

 


 Munster(ムンスター)はブレーメン、ハンブルク、ハノーファーの三都市の中間にあり、田舎なので交通の便はあまりよくありません。宿泊地のベルリンから4時間ほどかけて向かいました。(Münster(ミュンスター)とは全く別の場所であることに注意が必要です。もし駅で切符などを買うときは、観光客の多いMünsterを案内されてしまう可能性もあるので、駅の正式名である「Munster(Örtze)」を示すと確実かと思います。)

 

 また一般的にドイツ観光をする場合は、フランクフルトやミュンヘンを拠点とする人も多そうなので、行き方については旅行プランによりけりかと思います。もしハンブルクを観光するのであれば、100分程しかかからないので効率よい旅行になるかもしれません。博物館やムンスター駅にはコインロッカーや荷物預かり所が無いので、その点も要注意です。

 

 ドイチェバーンの乗り換え検索

 http://www.syuuyuu.com/db_manual

 

 

 今回ベルリンから向かうにあたっては、前日と同じくまずはハンブルクへ。ハンブルクを経由してICEで向かうことにしました。この時も前日購入したジャーマンレイルパスをそのまま使用し、切符を買う手間も無く向かうことができました。

 

 ハンブルクからはUelzen(ウェルツェン)行きのME(Metronom Eisenbahngesellschaft メトロノーム・アイゼンバーンゲゼルシャフト)という快速列車に乗り換え。

 

 

 

 

 ウェルツェン駅はなんともメルヘンチックな建物でした。

 電車が来るまで少し時間があるので、中でドーナツを買って食べたり。

 

 

 

 

 駅のホームにもこんな待合室が。

 

 

 

 

 ウェルツェンでErixxのディーゼルカーに乗り換え。これもジャーマンレイルパスで乗れます。

 

 

 

 

 11時07分にウェルツェンを出て30分でムンスターに到着しました。

 

 

 

 

 

 ムンスター駅。

 

 

 

 

 田舎の小さな無人駅です。

 

 

 

 

 

 博物館へは駅からは徒歩で15分ほど

 住宅街ですが、道も大きいのでさほど迷うことはないでしょう。

 

 

 

 

 閑静な住宅街

 

 

 

 

 "Panzertruppenshule"(パンツァートルッペンシューレ:装甲部隊学校)の標識が見えたら、それに従って進んでも博物館に到達します。

 というのもムンスター戦車博物館の隣に戦車学校があるのです。(軍施設なので一般人の見学はできませんが)

 

 ボービントンもそうでしたが、戦車博物館が教育施設としても活用されているケースは多いように思われます。

 

 

 

 ドイツの選挙ポスターは大きかった

 

 

 

 

 貨車に搭載されたレオパルト1が見えてきたら博物館です

 

 

 

 エントランス

 ドイチェス パンツァームゼーウム ムンスター

 「ドイツ戦車博物館ムンスター」が正式名

 入館料は大人7ユーロ

 

 

 

 

 遊べる!

 

 

 

 

 マネキンがお出迎え

 

 

 

 

 パンツァームゼーウムだけあって、ここから辿るというわけですか。

 

 

 

 

 A7VのWW1情景展示が登場です。

  

 

 

 

 このA7V Wotan号、実車は戦後すぐにスクラップにされており、1980年代に西ドイツで製作されたレプリカ車です。

 ツァイスやラインメタル、MANといった西ドイツの兵器生産にゆかりのある企業がこのレプリカ製作に関わっていることが示されていました。

 

 

 

 

 Wotan(ヴォータン)はオーディンの意味

 

 

 

 

 黎明期の無限軌道、しかもトラクターがベースだったということもあり、不整地を走破するには少し頼りない足回りですが、履帯を敵弾に晒して破損・走行不能になることを恐れたのか、露出を少なくしようとこのようなデザインに行き着いたのかもしれません。

 

 

 

 

 側面のMG08重機関銃のマウント構造がよく分かります。

 

 

 

 

 

 このレプリカ戦車は内部も再現されています。側面の機関銃手のマネキンも見えますが、実戦ではさらに防弾衣や防弾マスクを着用していたものと思います。

 また天井から縄が下がっていますが、これは電車の吊革のように捕まるためのものでした。

 

 

 

 

 WW1で着用された防弾衣など

 

 

 

 

 

 戦車の横には歩兵のマネキンも。

 MG08/15の横には、小銃用防盾がありました。

 

 

 

 

 一見ホイペットに見えますが、ドイツがWW1末期に試作したLK II(Leichter Kampfwagen II:軽量戦闘車輌II)という戦車。

 WW1では2輌が試作されたに留まりましたが、戦後密かに分解した状態でスウェーデンに売却され、スウェーデン軍でStrv m/21やStrv m/21-29として使用されていました。ムンスターにあるのはスウェーデンのStrv m/21-29だったものです。

 

 

 

 ダイムラーDZVR 21装甲車

 WW1後まもない1919年から20年にかけて開発が進められ、1925年までに85輌生産されました。

 戦車や装甲車の開発・購入を制限されていたドイツでしたが、こうした警察用車輌は生産出来たようです。

 

 

 WW1から戦間期の車輌はこのような感じでした。(続く)

 

ドイツ旅行(7) ハンブルクのUボート博物館ほか 

 

 

 高射砲塔から港に戻り、港沿いに歩いていきます。

 

 

 

 

 しばらく歩いていると、U-434と呼ばれるUボート博物館にたどり着きます。

 ホイテ フュールング! 今日はガイドしてますということですね。(二外で独語取ってたのは無駄ではなかった)

 

 

 

 

 ドイツ、それも港湾都市に来たからには海軍モノも拝んでいこうということでやってきました。

 しかし注意しなくてはならないのは、この潜水艦は旧ソ連/ロシア海軍のタンゴ型潜水艦B-515 (1976年建造 2001年退役)で、大戦中の使用はおろか、ドイツ海軍(旧東ドイツ海軍も含めて)に在籍していたこともありません。

 

 

 

 

 U-434というのは、博物館船として係留するにあたって登録されたペナントナンバーなのでした。

 

 しかし、実物の潜水艦を拝めるだけでも万々歳。

 営業時間中の決まった時間にガイドツアーがあるので、受付で待機して艦内に向かいます。

 ガイドはドイツ語が基本ですが、外国人には英語で対応してくれるので、聞いていればそれとなく意味は分かるので助かります。

 

 

 

 

 艦内に向かう桟橋には搭載されていた魚雷が展示されていました。

 (ソ連艦とはいえドイツ海軍軍歌の「Torpedo los!」(魚雷発射!)が脳内に流れてくる)

 

 

 

 

 艦内へは艦橋ではなく艦前のハッチから入ります。

 なお小さな構造物がありますが、博物館にする時に設けられた追加の造作物で、雨天時の雨水の侵入防止用かと思われます。

 

 

 

 

 

 ガイドの説明に沿って艦内をほぼ網羅するように歩きまわります。

 なおタンゴ型は通常動力型潜水艦で、全長91m乗員62名なので、WW2型の潜水艦にスケール感や内部の雰囲気は近いかもしれません。

 

 

 

 

 こんなこともできちゃう

 

 

 

 

 潜水艦映画でもお馴染みのこのハッチを潜って進みます。

 

 

 

 トイレ

 戦後型潜水艦といえども艦内生活はキツそう

 

 

 

 潜水艦の外殻を間近に眺める

 

 

 

 

 潜水艦を見学後はまた港に戻っていきます

 

 

 

 Rickmer Rickmers(リックマー・リックマース)という博物館船があるので、ここで昼食に。

 船としては1896年建造の三本マストバークで、比較的新しい船です。船型としては横浜の日本丸もバークですね。

 もともとはMax号というハンブルク-香港間で茶や米を運搬する貿易船でしたが、ドイツ、イギリス、ポルトガルと所有者が変わり、最終的に再びドイツに戻り博物館船になりました。

 

 

 

 博物館船ですが、船上レストランにもなっています。

 

 

 

 レストランはかなりオシャレな割に、価格帯が日本円にして1100~1500円台とリーズナブル。

 タイタニックの一等船客リエナクト()をしながら食事を待つヨンギル師

 

 

 

 メニューは海産物を使用したものや、当時の船乗りの食事をイメージした物が中心でした。

 

 

 

 船がもともと19世紀末の新しい船で、20世紀中頃まで現役だったこともあり、外観だけでなく内装も綺麗に保存されていました。古い船だからとただ老朽化するのを放置するのではなく、現役時代の景観をできるだけ長く保とうとする姿勢が垣間見えました。

 

 

 

 この他にもレストラン船や遊覧船、貨客船やコンテナ船などが行き交っており、エルベ川(正確にはそのさらに支流のアルスター川)の河口のスケールの大きさを実感します。

 港湾設備の規模としてはEU圏で第二位の大きさだとか。

 

 

 

 さらに倉庫街へ向かい、ミニチュア・ワンダーランドを現地指導

 

 

 

 376人が訪問(!)

 

 

 

 

 あっ

 

 

 

 ミニチュア、特に鉄道模型をメインとしたテーマパークで、1/87スケール (HOスケール)のジオラマが広大なスケールで再現されています。

 

 

 

 このスタジアムも観客のフィギュアが一人一人設置されていて、眺めてるだけで不思議な気分に

 

 

 

 中にはタイマーで昼→夕方→夜と照明が変化する情景もあり、夜景を眺めることもできます。

 

 

 

 鉄道だけでなく、実際に水槽を使用した水運の模型や、空港で飛行機が離着陸するギミックを備えた大掛かりな情景もありました。

 

 

 

 

 倉庫街は赤レンガを使用しており、街の雰囲気としては横浜に近いところがあるかもしれません。

 ハンブルク港は横浜港と姉妹港なのだそう。

 

 

 

 あと、ハンブルクに来たのですから、やはりコレを食べないわけにはいきません。

 

 

 

 

 ハンブルク中央駅

 時計台とガラスアーチのクラシックなデザインでとても素敵でした。

 

ドイツ旅行(6) ハンブルクの高射砲塔

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 朝になり、まずはベルリン中央駅のドイチェバーン(ドイツ鉄道)の窓口へ。
 後日別の場所も回るので、まずはここでジャーマンレイルパスを購入。




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 ジャーマンレイルパスはICEでも使えるんです。




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 駅のダンキンドーナツで朝飯代わりにドーナツを購入





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 ベルリンを出発して一時間半ほど。






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 ドイツ北部の港湾都市であるハンブルクに到着します。






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 ここでさらにハンブルク地下鉄に乗り換えます。






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 港湾都市といっても、エルベ川の河口から上流に100キロ遡った場所にあります。
 大型船舶が出入りできるほど大きな川ということですね。






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 地下鉄フェルトシュトラーセ駅に到着






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 駅を出て右手にそびえ立つのが、第二次大戦時に建造された"Flakturm"(高射砲塔)です。

 歴史的都市であり、重要な造船所と工場が集中するハンブルクは、かねてから重点防御都市として認識され、ヒトラーの命令により3基の高射砲塔の建設が計画されました。
 しかし、その後の「大西洋の壁」建設に伴う労働力・資材不足のため、ハンブルクに完成した高射砲塔は2基に留まりました。

 これはそのうちの1基でHeiligengeistfeld (ハイリゲンガイエスフェルト)の高射砲塔IVと呼ばれ、1942年10月ごろに完成、ドイツ国内では4番目に完成した高射砲塔でした。
 ハンブルクのもう1基の高射砲塔はヴィルヘルムスブルクにありました。こちらは戦後比較的早く解体されています。



 ハイリゲンガイエスフェルトの高射砲塔は第一世代とよばれる一番最初のタイプで、約70m四方の高さ39mの巨大コンクリート構造物でした。壁は2.5m、天蓋部は3.5m厚の鉄筋コンクリートで覆われ、空襲時の直撃弾に耐える構造となっていました。


 今日では巨大な高層ビルも当たり前になっていますが、耐爆構造かつ屋上の高射砲の射撃に耐える強度を求められた施設ですから、投入された資材と労働力は莫大なものでした。





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 下の段の張り出しには、四連装2センチないしは単装3.7センチ高射機関砲が据えられ、低空進入する敵機を迎え撃ちました。




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 上段にはこのような連装12.8センチ高射砲が4基据えられ、高高度を飛来する爆撃機を迎撃しました。





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 高射砲塔は射撃を担当するL塔と、射撃指揮を行うG塔の2塔がコンビとなって運用されました。(塔が2つに分けられたのは、高射砲射撃時の衝撃から、測距儀やレーダー、高射算定器といった精密機器を隔離するため。)
 ハイリゲンガイエスフェルトの高射砲塔IVのG塔は、戦後も地元の郵政施設に使用されるなどしていましたが、1970年代に少しづつ爆破しながら約1年の期間をかけて解体されました。




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 L塔は今も内部構造が残っており、50年代にはテレビの放送塔としても使用されていました。





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 現在L塔にはスタジオや音楽スクール、楽器店などのテナントが入っており、分厚いコンクリートを防音設備として活かした施設になっています。
 外壁には落書きが多く、若者の集まるスポットになっているようでした。




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 サッカーイベントなどでも使われているようです。




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 これらの配管は戦後新設された造作物かと思います。




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 階段もオリジナルのものかは分かりませんが、エレベーターはバリアフリー対応のために増設されたと思われる新しいものでした。



 最上階の5階まで行ってみたのですが、屋上に出る出口が見当たりませんでした。
 戦時中は最上階に空軍女性補助員の宿舎や、彼女たちの勤務場所である通信施設などが設けられていました。


 高射砲塔は単なる防空陣地ではなく、堅固な構造を活かして防空壕としても機能しました。それだけでなく、空調を備えた文化財・美術品の保管庫や、行政機関の書庫、臨時郵便局、貯水槽、自家発電機、入院・手術設備などを備えた病院なども備えた総合防空施設でした。
 敗戦間際には建物を焼失したハンブルクのゲシュタポが、高射砲塔内に臨時支部を設けていた時期もあったようです。




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 1944年の訓練中のハイリゲンガイエスフェルト高射砲塔の空軍補助員
 訓練中のためか、まだ笑みが溢れる補助員もちらほら。この補助員たちは15~17歳が主だったそうです。





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 1945年焼け野原になったハンブルク市街に佇むハイリゲンガイエスフェルトの高射砲塔


 当初、爆撃機の迎撃を主任務として建設された高射砲塔でしたが、連合軍も飛行コースから高射砲塔を避けたり、チャフなどの妨害システムを繰り出してきたことで、建設コストに見合うほどの撃墜数は得られなかったようです。


 しかしその一方で、高射砲塔は多くの人命や文化財を戦災から保護しました。

 特に1943年7月のハンブルク大空襲は、イギリス側も「ゴモラ作戦」(旧約聖書で神により滅ぼされた都市)と命名するほど徹底的な都市の破壊を狙ったもので、1周間にわたってほぼ24時間体制で空襲が行われ、合計9000トンの爆弾が投下されました。この結果、一般市民5万人が死亡し、100万人が住居を失うことになりました。

 さらにこの空襲では火災によって火災旋風が発生し、自宅の地下室や防空壕に逃げ込んでも、800℃の熱風に巻かれたり酸欠によって命を落とす市民が多数いました。
 一方でハンブルク市内の各高射砲塔には、合計10万人が避難し難を逃れることができたと言われています。




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 屋上にはヤシのような植物が植えられているように見えました。


 現代人が中世の古城を見るような感覚と比較しながら、この高射砲塔も今後どのように残っていくのか気になりました。






※高射砲塔訪問時の下調べにはこちらを読んで予習しました。

ドイツ高射砲塔―連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物 (光人社NF文庫)ドイツ高射砲塔―連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物 (光人社NF文庫)
(2011/12/29)
広田 厚司

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ドイツ旅行(5) ガトー・ドイツ連邦空軍博物館(後編)からポツダムへ

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 最後に訪れた格納庫は、ドイツ連邦軍機が中心のエリア





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 こんな体験ができるエリアもありました。




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 ミーティング風景




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 ルフトハンザの大統領専用機の内装だそう



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 このあたりを見ると、戦後の西側感が



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 旧東ドイツ空軍のMig29がありました!



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 ミサイルも東側時代のものを搭載して運用されており、機体とともに評価試験が行われていました。



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 東西ドイツ統合後は、F-16などと異機種間訓練を行ったり、NATO規格に改修したりしてしばらく運用されていましたが、ドイツ空軍が保有機をユーロファイター・タイフーンに更新するにあたって、ポーランドにタダ同然で売却され、現在はポーランド空軍に多くが移籍しています。




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 戦後西独で使われたフォルクスワーゲン・タイプ181クーリエワーゲン
 どことなくキューベルヴァーゲンの面影があるように、事実上の改良型になります。




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 戦中の遺構や残骸も展示されていました。




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 博物館を出たのですが、周りはフツーの住宅街で、受付でタクシーを呼んでもらおうとするも「大通り(クラドアーダム通り)まで行ってバスに乗れば?」との解答でうまく対応してもらえず、仕方なく歩くことに。

 これが意外と遠く、たまたま通りかかったタクシーを呼び止めて乗車しなんとか次の場所へ向かうことができました。



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 そのままタクシーで通りを南下し、ポツダムに到着します。



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 広大な庭園を歩きます。

 ポツダムを歩いていて思ったのは、「静かな街だな」と感じたことでした。
 アジア圏と異なり深夜まで営業する店がそう多くないこともありますが、かつての宮廷の庭園や狩場の名残で、首都の中に森や湖が占める面積が多いことも関係しているような気がします。

 近くに有名なサンスーシ宮殿もあったのですが、時間の都合で寄れず。



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 今回はツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)を見学。
 あのポツダム会談の開催地であり、米英ソの三巨頭が顔を合わせた場所でもあります。

 そのためプロイセン王国時代の様子だけでなく、1945年の会談の時のテーブル配置も再現されておりました。




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 夕方になってきたので、宮殿前から路線バスに乗り市街地へ



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 通りがかった店がなんとも美味しそうな店構えだったので、ドイツビールと料理を堪能したのでした。

ドイツ旅行(4) ガトー・ドイツ連邦空軍博物館(中編)

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 ドイツ機のコレクションが豊富でした。



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 西ドイツ空軍のF-104
 冷戦の最前線であるドイツでも、核搭載爆撃機を即座に迎撃する手段を研究するため、このようなゼロ距離発進のテストが行われていました。




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 ナイキ・ハーキュリーズ
 ゼロ距離発進機を揃えるよりも、このような長距離地対空ミサイルを揃えて、通常の迎撃機と組み合わせた方が効率が良いとの結論に達し、上記のようなゼロ距離発進はテストするだけに留まりました。



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 戦前-大戦機を中心に展示する格納庫



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88と探照灯




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 測距儀

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 カールツァイス製



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 空挺グライダーなんかも
 マネキンの装備は若干いい加減





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 さすがドイツ!ホンモノのBf109G-2だ!

 ・・・と思いきや




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 正体はスペイン空軍のHA1112でした。しかし、この機体は『空軍大戦略』でドイツ戦闘機役として飛行した機体で、映画の撮影後この博物館に寄贈されたのだそうです。





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 この機体の場合はドイツ製の機体にロールスロイス製エンジンをつけただけだったので、エンジンカウル周りを中心に改修し1988年にBf109G-2の姿に復元したとのこと。

 マーキングは98機撃墜のスコアを持つグスタフ・レーデル機を再現しており、北アフリカ戦線でJG27第2飛行隊の隊長であった時の「黄4(ゲルプ4)」を再現しています。




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 小ぢんまりとした機体に頑丈そうなキャノピーが魅力的な機体



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 増槽も


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 批判を恐れずハーケンクロイツのマーキングも再現しているあたり、復元の意気込みが感じられました。




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 オリジナルのダイムラー・ベンツDB605A
 Bf109でも用いられたエンジンです。



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 V2ロケットの弾頭部分



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 黒歴史



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 こちらの円錐は、コンクリート製の個人用待避施設
 入り口正面方向に着弾したらマズそうですが、天井部を円錐形にしているのは上部からの爆風を受け流すようになっているんでしょうね。

 中に入ることができます。電話ボックスくらいの大きさ。



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 航空博物館に必ずあるであろうレプリカですが、リリエンタールの母国でもこのように。



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 コメートは別室で特別展示がされておりました。



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 連合軍の重爆を迎撃すべく高高度に舞い上がる姿を描いたボックスアートみたいな背景画が。




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 売店になぜか一式陸攻が。

 レストランがあるという話を聞いていたものの、売店内にドリンクのみの小さなカフェと、別の格納庫に自販機があった程度で、通りがかりのドイツ連邦軍の関係者っぽい集団に聞いてもここには無いとの返事。



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 滑走路には戦後の西独・東独機を中心に多数の軍用機が展示されていました。
 こちらは西独空軍のF-4




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 ベトナムで活動したイメージが強いOV-10は西独でも使用されていたんですね。
 


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 隣国の機体もいくつかありました



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 パッと見なんだこりゃ!と思わずにいられなかった、イギリスのフェアリー・ガネット艦上対潜哨戒機。
 西独では空軍ではなく海軍で運用されたそうです。



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 初めて肉眼で目にしたMi-24
 凶悪そうな顔面でカッコいい機体です。




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 ハインドは東独にも輸出され運用されていました。



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 東独や東欧諸国の機体がズラリとならんでいて見て回るだけで一苦労




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航空機だけでなく、地上機材やSAMなども東西入り乱れて展示されていました。

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 最後はまた別の格納庫へ(つづく)

ドイツ旅行(3) ガトー・ドイツ連邦空軍博物館(前編)

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 ティアガルテンからSバーンでシュパンダウ駅(Spandau)に到着し、タクシーに乗車。

 シュパンダウにはかつて造兵廠があり、MG08の主要な生産地のひとつでした。そのため、MG08の「シュパンダウ機関銃」というニックネームの由来でもあります。




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 旧ガトー(Gatow)空軍基地にある、ドイツ連邦空軍博物館にやってきました。
 ガトー基地のあるシュパンダウ地区はベルリン西部にあり、1945年のベルリン戦では8.8センチ高射砲を有する空軍士官候補生らと国民突撃隊の混成部隊がこの基地付近でソ連軍と交戦しています。




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 受付は簡素なプレハブ小屋



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 まずはC-47を現地指導




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 オーストラリア空軍機でした。



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 シュパンダウ地区は戦後イギリスの占領地区だったので、ガトー空軍基地は英空軍が使用していました。



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 帝政ドイツ時代の気球部隊


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 ドイツ空軍の変遷と共に制服や模型が展示されており、英仏など諸外国のものも合わせて展示されていました。



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 リヒトホーフェンコーナー




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 あっ



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 探照灯部隊の配置情景



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 ホンモノかどうかは分かりませんが、ゲーリングの制服はいろんな所にありました。
 それにしてもニュルンベルク裁判の写真を使われてしまうとか、かわいそう。
 (個人的にゲーリングの政治的なバランス感覚とか憎めない人柄には好感を持っているのですが。)



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 エニグマ暗号機の実機
 左にあるのは暗号機に使われたローター




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 ドイツでも大戦末期には物資が欠乏し、前線で様々な代用グッズが使用されていたようです。



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 珍しい代用編上靴
 革靴が壊れても補充できなかったため、布や木材で作って代用されたものだそう。
 手先の器用な兵隊か部隊の靴修理工などが作ったのでしょうか。



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 廃材で作ったマリア様








やがて東西冷戦コーナーへ

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東独


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西独





 東西のクローゼット対決も

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 東独


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 西独





 さらに東西のおもちゃ対決も


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 ソ連や東独がメインの東独の玩具に対して




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 西独は普通にメッサーのような大戦機や88も。




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 東西統一直後、連邦軍に編入された旧国家人民軍の写真とマネキン
 ゴミ箱に捨てられる同志ホーネッカーがシュール




後半は実機展示になります。(つづく)

ドイツ旅行(2) ティアガルテンと戦勝記念塔

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 ブランデンブルク門をくぐり、ティアガルテンに入ります。
 広大な森が広がる公園地区に入り、一度振り返ってブランデンブルク門を撮ってみました。



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 帰国後に気づいたんですが、ちょうどそれが俗に「ラストタイガー」と呼ばれる、ブランデンブルク門近くで撃破されたミュンヘベルク装甲師団のティーガーIの写真と同じ場所で驚き。
 (もともと知っている人には有名な撮影スポットだそうで。)


 ベルリン陥落間際、ゲーリングの後任としてヒトラーに呼び出されたグライム上級大将が、ハンナ・ライチュと共にシュトルヒで強行着陸したのが、このティアガルテンのブランデンブルク門付近だったとされています。


 ブランデンブルク門を抜けると、通りの名前が「ウンター・デン・リンデン」から「6月17日通り」に変わりますます。この通りを進み戦勝記念塔を目指します。
 「6月17日通り」はもともと「シャルロッテンブルガーショセー」という名称でしたが、東独時代に東ベルリン暴動があり、その惨劇を後世に残すためにこの名前になっています。


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 そんな森の中の通りを進んでいくと、途中にソビエト戦争記念碑がありました。
 大祖国戦争の勝利を記念したモニュメントが並びます。



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 M1937 (ML-20)152mm榴弾砲と、奥にT34。
 それぞれ2門2輌づつ展示されていました。



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 SU-152などにも搭載された重榴弾砲です。




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 防盾前面にむき出しになった旋回・仰角の構造



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 首都に迫る赤軍砲兵だー(棒)



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 車長キューポラつきの六角砲塔のT-34



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 ゴム付き転輪でした。



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 通りをさらに進むと見えてくるのは戦勝記念塔(Siegessäule ジーゲスゾイレ)
 デンマーク戦争での勝利を記念して建設されたものです。

 上に立つ像は勝利の女神ヴィクトリア




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 デンマーク戦争勝利後から建設が始まったのですが、建設期間中に普墺戦争や普仏戦争でも勝利したため、それらの勝利も記念するようにもなりました。

 もともと帝国議会前にあった戦勝記念塔ですが、現在の場所へ移設させたのはヒトラーでした。


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 ベルリン戦ではドイツ軍の一部がこの塔に立て籠もっていたとのことで、近づいて見てみるとブランデンブルク門と同じく弾痕と思われるものが随所に見られました。

 塔と言っても狭い建物で、銃眼などがあるわけでも無いので、防御上有効な拠点として機能したかは分かりませんが、もしここがソ連軍にとって脅威になる火点となっていたら、重砲で破壊されてしまっていたかも。



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 塔の中に入ると長い螺旋階段があり、頂上の展望台まで出ることができます。
 ティアガルテンの広大な森と、戦勝記念塔から放射状に伸びていく道路が一望できます。




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 ティアガルテン駅へ




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 Sバーンに乗りシュパンダウ駅へ向かいます(つづく)


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