プロフィール

歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

カテゴリ
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ユーザータグのリスト表示
全記事(数)表示
全タイトルを表示
ブログ内検索
訪問者
リンク
月別アーカイブ(タブ)
月別アーカイブ
RSSフィード
TOEICボキャドリル(わんこ版)

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
趣味・実用
1808位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
383位
アクセスランキングを見る>>

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

國軍武器事情:ZB26軽機関銃

・ZB26軽機関銃 (ZB26式輕機槍)

20110623085152737.jpg

・概要
 第一次大戦後、各国で軽機関銃の開発が進む中、チェコスロバキアが1926年に完成させたのがZB26軽機関銃です。信頼性の高い機関部に銃身交換の容易さから優秀な軽機関銃とされ、比較的安価だったことから世界中に輸出されました。中国でも輸入および国産化がなされ、漢陽八八式中正式盒子砲と並び、抗日戦争における中国軍の代表的な武器となっています。

 抗日戦争初期においては、日本軍の軽機が6.5mm弾を使用する十一年式軽機関銃だったのに対して、7.92×57mm弾を使用するZB26の射程と威力、および稼働率の優秀さは日本側の記録などでも度々取り上げられており、「チェッコ機銃」「ブルーノ機銃」「無故障機関銃」などと呼ばれ、鹵獲して使用されたり、九六式軽機関銃のお手本になったりしたことが有名です。
 もちろん中国側でもその高性能ぶりを実感しており、兵士達から「捷克式輕機槍」(チェコ式軽機関銃)や「二六式輕機槍」と呼ばれながら親しまれていました。



P8291425.jpg
 軍史館のZB26



Japanese-ZB26-in-China-1937.jpg
 鹵獲したZB26を使用している日本兵(1937年)




・中華民国への輸入と国産化

 ZB26が開発された次の年、北伐が終わりに近づいた1927年には早くも国民政府はチェコからZB26の輸入を開始していました。チェコ本国から中国への輸出は、チェコがドイツに併合される1939年までに総数3万2272挺にのぼったとされています。
 一方で中国はZB26の国産化(ライセンス生産ではなく無断コピー)を計画し、1927年にはまず大沽造船廠でコピー製造が開始されました。(名前の通り元々は1880年以来清国北洋水師向けの艦艇を建造していた造船所でしたが、1892年からは武器の製造も行なっていました。) これに続いて他の兵工廠もZB26の製造を始めます。しかし工業規格の概念が根付いておらず、銃の個体ごとのパーツの互換性が無く、出来上がったZB26のコピー品はチェコ本国の工業規格とも異なる模造品でした。
 1902年開発のマドセン機関銃を最先端技術として、試行錯誤しながら銃器を製造していた中国の工業力にとって、高い工業技術を要するZB26の製造は困難だったのです。

 この時期に中国が導入していた軽機関銃としては、ソ連から輸入したDP28機関銃があったものの、高い工作精度と高強度のクロムモリブデン鋼を必要とする割には作動信頼性ではZB26に及ばず、またフィンランドから導入していたラティM1926軽機関銃も、作動信頼性に劣る点と銃身交換が困難な点からZB26に劣ると評価されており、国民政府としてはなんとしてもZB26の自給を望んでいたのでした。

 また現代の中国でこそ自国でレアメタルを産出できるものの、当時の中国はクロムやニッケルを輸入に頼っていました。この点において、それほど高強度の鉄鋼を必要としないマドセンやZB26は中国の鉄鋼生産事情にも合致していたと言われており、強くZB26を求める要因になったと言われています。



NRA_soldiers_firing_inside_Sihang_warehouse.jpg
 1937年の第二次上海事変・四行倉庫の戦いにおける国府軍兵士




 どうにかして規格品のZB26を国産化したい国民政府はチェコと交渉を重ね、1934年に中国人技師をチェコに派遣して技術を習得させたほか、1936年にはチェコスロバキア兵器会社(ブルーノ兵器工廠)と正式に中国国内に工場を建設することに同意します。(チェコとしては中国にVz.24(チェコ製の短縮型モーゼル)の輸出実績があったので輸出拡大の好機でもありました。) しかし工場誘致計画は翌年7月の蘆溝橋事件によって途中で挫折してしまいます。

 そのため国民政府は、中国国内の従来の製造ラインは稼働させたまま、なんとか工業技術を向上させていく方向に軌道修正することになります。
 まず21工廠(現:南京金陵兵工廠 当時は重慶に疎開して操業)において、生産工程が厳重に管理されたZB26のライセンス生産を行うこととなりました。当初は在来の非規格品のZB26のパーツを再加工したり、できるだけ削りだし加工ではなく鍛造を取り入れることで資材の3分の1以上を節約することから始めていましたが、1942年ごろには規格の統一されたZB26を安定的に供給できるようになり、41年までは年900挺だった生産量も1945年には年2900挺に大きく伸び、21工廠は日本の敗戦までに合計9313挺を軍に納入するに至っています。

 軍閥出身にして国民政府の重鎮だった閻錫山の勢力地・太原では、1935年から西北鑄造廠でZB26の生産を行うも、1937年に太原が日本軍によって占領されてしまったため工廠を四川に疎開させ、廣元分廠を設立して1941年から月産150挺から200挺程度を製造していました。

 マドセン機関銃の製造ラインを建設するはずだった昆明の51工廠では、日本軍の援蒋ルート爆撃による生産設備の喪失のため、急遽生産ラインをZB26に切り替え、日本の敗戦までに15000挺弱のZB26を生産しました。

 変わったところでは、1938年にチェコ式の製造設備を入手してZB26を生産していた浙江鐵工廠において、ガスパイプを円柱状から角柱型にした生産簡略化型(七七式機槍)を月産60挺のペースで生産していたとされています。



chinese nationalist army soldiers in the marco polo brigde (july 1937)

 キャプションによると「1937年7月に盧溝橋に展開する兵士」とのこと。この説明通りだとすると盧溝橋事件の前後なので当地に展開していた宋哲元の第29軍の兵士かと思われます。




China-soldiers-German-trained-px800.jpg
 徳式(ドイツ式)部隊における訓練写真
 ZB26の射手の隣にいる装填手は、バンダリアからC96等の拳銃を携行していることが予想されます。



667d1532.jpg
 同じく徳式部隊における訓練写真
 こちらの装填手は腰のマガジンポーチ、手元の様子から小銃を携行していると思われます。




140dct0.jpg
 第8軍103師308團第3營の訓練において将校がZB26の操作を指導している写真(1945年3月)
 この第8軍103師は1944年に拉孟の戦い(寡兵の日本軍が玉砕した戦いで有名)にも参加している、雲南遠征軍の一部でした。
 遠征軍に多い特徴として、襟章などの徽章が無く、さらにこの兵士たちは帽章も付けていないように見えます。将校が服と異なる兵用生地の帽子を被っている点、また雑多なベルトやゲートル、靴の着用が見られます。





zb26ustrainer.jpg
 ZB26の操作訓練を視察する米軍のHaig Shekerjian准将



british equiped chinese soldiers using a bren light manchine gun (china 1942)
 部隊章から185師の所属、また襟章から射手が上等兵だと分かります。皿ヘルに青天白日の徽章がついています。1942年3月に長江上流地域で防衛についていた185師の兵士とのこと。185師は武漢を警備していた歩兵旅からなり、蒋介石警衛部隊のひとつに数えられる精鋭師団でした。



11f9cf67e26g214.jpg
長江の南岸付近の陣地における兵士。 夏服を着用しています。



P8291396.jpg

P8291395.jpg

 軍史館に展示されていた「パフラヴィー朝イラン帝国空軍の将軍から中華民国軍の将軍に寄贈されたイラン製ZB26」
 どの時期に寄贈されたのか不明ですが、イラン帝国空軍そのものは1920年から存在しています。
(余談ながらイランはGew98などドイツ製小銃をライセンス生産していたり、戦後も7.62mm弾仕様のモーゼルを製造していたりしました。)




1324524101929_232.jpg

 ZB26はその後も朝鮮戦争で使用された他、人民解放軍ではこの写真のようにAK47(56式自動歩槍)の弾薬とマガジンを使用できるように改造したZB26を80年代まで使用しています。(手前がAKマガジンのブレン軽機関銃、奥がAKマガジン仕様のZB26)
 現在、抗日戦争を描いたドラマや映画で登場するのはこのAKのマガジンがついたZB26であることが多いです。



参考
http://club.china.com/data/thread/1013/2735/50/47/9_1.html
http://zh.wikipedia.org/wiki/ZB26%E5%BC%8F%E8%BC%95%E6%A9%9F%E6%A7%8D



スポンサーサイト

2012台北旅行 その9 烏来

P8301561.jpg

MRTに乗車


P8301562.jpg

南へ下り、新店站で下車


P8301563.jpg

ここから849番のバスに乗り換え



P8301564.jpg

目指すは烏来




P8301571.jpg

山道を50分ほどかけて登っていきます。
バスも悠悠カードが利用できるので便利。



P8301581.jpg

終着地、烏来に到着。
帰りはここから台北站行きのバスが出てるので、多少時間かかってもいいならそのまま乗るのもいいかもしれない。



P8301575.jpg

タイヤル族の部落に近い場所
台北の都市部とは大分違う印象の場所

山の天気は変わりやすく、雨に振られたり、それまでの台風の影響で川も濁流気味。



P8301582.jpg

タイヤル料理の屋台や温泉街が軒を連ねています。
雨のせいか、観光客ほとんどおらず笑


P8301585.jpg

なんとなく箱根っぽい?
帰る際に温泉に寄ってみたものの、なんか刑務所風呂みたいなところで驚いた(それはそれで楽しい)
もう少し進んだところにある温泉街は、露天風呂とか川と行き来できる温泉があったらしい。



P8301596.jpg

 客もいないので犬は暇そう笑



P8301609.jpg

 徒歩で山を登っていきます
 トロッコ列車に乗れるはずが、雨のせいか運行しておらず。うむむ



P8301610.jpg

 急に激しい雨が降ってきたので、トロッコ列車の駅にかけこんで傘を取り出そうとするも・・・ホテルに置いてきてしまったw



P8301611.jpg

 ちょうど近くに雑貨屋があり、100元の16本骨傘を買ってみたり。(安い!)



P8301627.jpg

 目的の烏来の滝!
 台湾最大の滝のひとつで、落差82メートル。これのさらに上部に2つ滝があるのだそうだ 



P8301637.jpg

 さらに登ってロープウェイ乗り場まで行ってみる。
 ここから滝を見ながらロープウェイ渡ることができ、そこには遊園地やレストランがあるのだとか。
 でもあいにくの天気だし行かないことにw

 もっと天気のいい日に行ってみたかった烏来


P8301641.jpg

 ジオラマ風



P8301698.jpg

 その後は台湾人の友人らと夜市へ



P8301678.jpg

食べ歩いたり


P8301687.jpg

遊んだり(この手のエアガン射的はどの夜市にもあるようだ)




P8301685.jpg

金魚売ってるけど、生体は日本まで持ち帰れないのです。




P8301677.jpg

 いろんな店があったりで楽しかった。




P8311710.jpg

 翌日は国立台湾大学近くの水悟空なる公営プールに行ってみたり。(水道局が運営しているので、水質はまず安全w)
 国際学生証とかは持ってなかったけど、日本の学生証で学生料金にしてくれたりして、親切だった笑
 ただプールはどちらかというと子供用が多かった。8月最後でもガラガラなのは意外だったり。



 ツアーの都合上、最後に寄らされる土産物屋でたまたまバイト中の台湾人の友人と再会したり、最後までナイスタイミングが多かった旅行でした。



國軍武器事情:マドセン機関銃

・マドセン機関銃 (麦德森機槍)

丹麦造麦特森轻机枪

 マドセン(Madsen)機関銃はデンマークのマドセン社が開発した軽機関銃で、1902年にデンマーク軍に採用されたほか、日露戦争でロシア軍が用いたり、第一次世界大戦ではドイツ軍に採用されていました。この銃は高価で射撃速度が毎分450-500発とやや遅いながらも、堅実な設計で戦略上有用な軽機関銃と評価され、第一次大戦後は12種類にわたる口径のバリエーションを揃え、30カ国以上に輸出されました。中国もその顧客のひとつで、当初の顧客は1916年以降各地で割拠・台頭してきた軍閥であり、1929年に国民党による北伐が完了するまでこの傾向が続きます。



技师在试验工厂所制造的丹麦麦特森轻机枪,小图为石井兵工厂车间

 中国ではこの機関銃を自給しようと、1908年に広東兵工廠でコピー生産が試みられたようですが、少数生産に終わったとされています。(おそらく当時の中国の工業力では満足のいく模倣が難しかったのでしょう。)




1921年石井兵工厂大门(也曾称广东兵工厂等

1921年の広東兵工廠



 北伐完了後、中国を統一した国民党政府はデンマークから3300挺のマドセンを輸入する契約を取り交わし、1938年3月から1940年3月にかけて中国に届けられたと言われています。中国向けのマドセンは7.92×57mm弾仕様で他のモーゼル系小銃との弾薬の共通化を図り、マガジンは32連を用いたようです。国府軍では、当時すでに生産と配備が軌道に乗り始めたZB26の20連マガジンと比較し、マドセンの旧式化を認めつつも火力はZB26より有利と判断していたようです。
 
 輸入に続いて、国民政府はデンマークとマドセンの正式なライセンス生産契約をかわし、1938年の後半にはデンマークはマドセンの製造設備および図面の売却にも同意することとなります。1939年4月には昆明に第51兵工廠を建設し、1000台の工作機械を発注して準備を整えていました。この時期の沿海部の主要都市は日本の占領下だったため、安全な雲南の昆明に疎開する形での工廠建設でした。第51兵工廠はビルマの援蒋ルートからの資材調達によって月産500挺のマドセンを生産できる程度の生産能力を確保できるはずでしたが、1939年5月と1940年6月の日本軍によるビルマ援蒋ルートの爆撃により、集積所に保管され輸送を待っていたマドセンの生産設備や図面が破壊され、計画の実行が困難になってしまいました。デンマークから再度取り寄せようかと検討されたものの、すでにデンマークはドイツの占領下にあり、日独伊三国同盟の発効によってマドセンの生産体制の構築は不可能になりました。第51兵工廠はその後ZB26の生産に切り替えて操業を続けています。




4A4559C4CD4B7E95D2D84A0B4AA7040E.jpg

中国人民革命軍事博物館で展示されているマドセン



参考
http://club.china.com/data/thread/5688138/2720/88/15/5_1.html
http://club.china.com/data/thread/1015/2732/00/05/5_1.html

國軍武器事情:ドイツ製拳銃とその他の拳銃

ドイツ製拳銃


・ルガーP08 (魯格手槍) 

IMGP2261.jpg

中徳合作や商用で移入されていたのだと思われます。
左のような砲兵型も持ち込まれていたようです。





・モーゼルM1910/M1914/M1934 (毛瑟1910/1914/1934手槍)


P8291380.jpg

6.35mm (.25ACP)弾仕様や、7.65mm (.32ACP)弾仕様、スライドの形状などによってそれぞれ名称が異なりますが、比較的まとまった数が移入されていました。M1934は本国ドイツでは警察向けに44万挺が製造され、戦中は海軍や空軍で使用されていました。



・ワルサーPPK (瓦爾特PPK手槍)

P8291381.jpg
写真はドイツから国府軍の高官向けに贈呈された装飾モデル

ワルサーPPおよびPPKが中国にどれだけ移入されたか分かりませんが、写真のように中徳合作における贈物などとして渡っていたりするようです。





・諸外国製拳銃

・レベルM1892

法國贈徐信的陸伯1892式轉輪手槍

フランス軍のリボルバー。 騎乗での使用を想定してシリンダーを右にスイングさせる珍しい形式。
あるにはあったようです。フランス軍の武器は小銃や軽機関銃なども輸入されています。



・十四年式拳銃

IMGP2259.jpg

 十四年式拳銃やその他南部式系列の日本製拳銃も、戦前から中国に輸出されており、また中国国内でも弾薬と共にライセンス生産がされていました。鹵獲品やコピー生産品も含めてまとまった数が使用されていたようです。
 (ちなみに南部式・十四年式の現地生産型と言われる北支十九式拳銃は、日本占領下の北京で生産されたものです。)


P8291383.jpg

 南部式自動拳銃、ベビーナンブの姿も。







・その他特殊な拳銃


・FP-45リベレーター (FP-45解放者手槍)
P8291406.jpg

 アメリカがレジスタンス支援用に開発した簡易拳銃。
 .45ACP弾を単発で発射するもので、当初はヨーロッパへの空中投下が検討されていたものの結局実行されず、かわって中国やビルマ方面に大量に投下されました。これによって現地における抗日活動を支援しようとしたようです。そのうち日本の占領地域に誤投下されたものが日本軍に鹵獲され、その後に日本軍からこの銃を押収したアメリカ兵が、あまりの粗雑さから日本兵の自決用と勘違いしてしまったエピソードが知られています。




・ウェルロッド消音拳銃

IMGP2253_20121227083249.jpg

 イギリスが開発したボルトアクション式消音拳銃。戦時中の使用状況は不明です。




P8291401.jpg

 中国国内で製造されたペン型ピストルや、アメリカ製の特殊拳銃など。暗殺や工作員用だと思われます。




2012台北旅行 その8 西門・電響街・華陰街

P8291497.jpg

軍史館を出て西門方面へ ちなみに今回の軍史館のスタンプラリーの景品はピンバッジw
ここで中学時代の台湾人の友人と再会(帰国してたの知らなかった)



P8291498.jpg

ふたたび飛飛軍品店へ
店員の人に「去年来た?」 完全に覚えられている笑
この数カ月前に台湾旅行した友人も行ってたりするのだけど、自分の知り合いだと感づいていたみたい笑

買い足りなかった台湾軍装備、ボディアーマーやサスペンダー、徽章、PASGTヘルメットなどなどを購入。
ついでにパッチなども買おうと思ったら、「OK」とその場でミシンを稼働させて作ってくれサービスしてくれたり、なかなかいいお店。



P8291500.jpg

西門の町並み
日本の渋谷や原宿にたとえられるけど、原宿の方に近い気がする。



P8291508.jpg

有名な餃子店で昼食
焼き餃子もあるけど、中華的には水餃子が主流ということで両方注文。
水餃子はスープがジューシーで非常においしい!
これだけ食べても一人数百円なのだから助かる笑



P8291511.jpg

アイスクリームかき氷なるものを売っている店



P8291510.jpg

バケツサイズを注文して三人で食い漁ったw



P8291514.jpg

カメラや音響機器の店が並ぶ電響街を散策。




P8291516.jpg

一応屋根はあるけど、この歩道橋のエスカレーターは風雨に晒されて大丈夫なんだろうかw



P8291512.jpg

台湾は主な交通手段が原付なので、道路脇もズラリ。





P8291529.jpg

西門紅楼 西門のシンボル的建物。



P8291532.jpg

西門紅楼は日本統治時代は公設市場だった建物で、戦後は映画館、今では劇場、カフェ、ミニ博物館と若手のデザイナーズショップになっています。




P8291538.jpg
渋谷



P8291539.jpg
新宿



P8291526.jpg
ペコちゃん・・・?





P8291543.jpg

台北站で途中下車して華陰街へ行ってみることに



P8291545.jpg

旅行カバンとか革製品、服などが問屋価格で売っている場所。
といっても、女性向けの物が多くて、あまり欲しいものはなかったかなw




P8291548.jpg
P8291552.jpg

夜は再び去年知り合った台湾の友人の案内で洒落たお店で夕飯。
パンの中にかぼちゃのスープ、これは美味しい!


2012台北旅行 その7 國軍歴史文物館

P8291340.jpg

今回も國軍歴史文物館(軍史館)を見学




P8291344.jpg

黄埔軍官学校の制服



P8291345.jpg

恵州を攻める国民革命軍のジオラマ
このジオラマだと銃火器があっても城攻めの方法があまり変わっていないような気がしなくもない笑
(あくまで模型だけどね)



P8291357.jpg

抗日戦争における代表的な銃器

前回はコンデジで粗い写真しか撮れなかったので、今回はミラーレス一眼でリベンジ。
過去記事の写真なども順次差し替えたいと考えています。




P8291368.jpg

1949年の古寧頭戦役の作戦会議風景を再現したマネキン
服は戦後の46式でエポレットがついているものの、服の色は抗日戦争期の草色に近い感じかしら。
雑嚢を見た感じ、中華製のドイツ軍のレプリカを改造したもののように見えたり。



P8291369.jpg

服を着て記念撮影ができます



P8291378.jpg

"團長! 解放軍224團在龍口登陸 我們的軍隊已經準備好攻擊..."


せっかくなのでw (この中文合ってるかしら・・・)





P8291370.jpg

ベルトと生地 服はレプリカ



P8291393.jpg


P8291404.jpg


P8291397.jpg


コンデジよりはまともな画質で撮影できたので、このブログの國軍関連記事にも反映していくつもりです。

(一時傾注してた軍装趣味も卒業中で、もともと細かな装備考証よりは戦史とか社会学よりの考証の方が好きだったりするのですが、中華民国軍は調べていていろいろ興味深い点は多かったので、気長に加筆はしていきたいと思ってますw)




レーザー銃の射的コーナー

P8291450.jpg

こちらは去年もあったT65歩槍



P8291451.jpg

今回はT91歩槍も!



P8291448.jpg

T57歩槍もありました。
(マルイの電動ガン改造?)

的も復活してたので、修理が終わったみたいですね。



P8291455.jpg

といっても、音や反動はなく、レーザーが照射されるだけなので地味ではあるのですけどもw





P8291473.jpg

野砲シュミレーターも健在(といっても射的だけど)

改めて写真を見ると、これってM59 155mm加農砲もしくはM115 203mm榴弾砲を縮尺したようなデザイン。
どちらも中華民国軍が保有してたけど、どちらがモデルなのかしら?(たぶん後者な気がするけど)



P8291475.jpg

今回の特設展示は憲兵隊特集



P8291476.jpg
P8291477.jpg

こういうベルトタイプのフラップのC96用バンダリアもあったのね。




P8291480.jpg
P8291479.jpg

南京戦というと、徳式4個師の精鋭のイメージが強かったのだけども、憲兵隊が大々的に戦闘に参加していたというのは知らなかった。
中でも憲兵教導第2団は特に奮戦した部隊で、憲兵副司令の蕭山令が戦死するほどの激闘を交えています。

国民革命軍の「憲兵」は軍法警察だけでなく広く行政警察としての権限があったり、事実上の第二の陸軍のような扱いで、各地で不足する兵力を補填するように投入されたりしているので、日本や諸外国のそれと異なる性格があったりします。



P8291484.jpg

1937年の憲兵用のピスヘルメット


P8291487.jpg
P8291488.jpg

戦後の帽子



P8291493.jpg

憲兵隊のバイク操縦を体験するコーナーなんかもありました笑



2012台北旅行 その6 二二八和平公園から総統府

P8291286.jpg

朝、MRTで出発し、台大医院站へ。名前の通り、台湾大学医学部附属病院がある駅で、ここから二二八和平公園へ行けます。
近くには国立台湾博物館や台北賓館などの名所もあるけど、これはまたの機会に。



P8291293.jpg

二二八和平紀念碑

 この公園は市民の憩いの場であると同時に、1947年に発生した市民の反政府蜂起「二・二八事件」の犠牲者を弔う場所でもあり、その際に発令された戒厳令はその後40年も続き、台湾の民主化運動の背景となった出来事でもありました。
 近くには記念館もありますが、時間の都合で今回は公園のみを回ることに。



P8291290.jpg

公園内にある樓閣 中国風の建物と南国の植物が台湾らしさを感じさせる場所でした。
広大な公園で、朝の散歩にはもってのこいです。



P8291301.jpg

噴水池
(せっかく風情のある場所だから、配管の塩ビパイプは目立たないようにしてほしかったなぁ笑)




P8291307.jpg

池を覗くと小魚がたくさんいる(メダカ?カダヤシ?)
生体がいる池なんて日本の公園でも少なくなってるだけに、ついつい見入ってしまう。




P8291316.jpg

総統府の方へ歩くと、やっぱり憲兵隊のハンヴィーが停車していた。
台湾の商店は開店時間が遅いので、午前中は公園散策と総統府見学に充てることに。



P8291315.jpg

相方も初めてなので、再度総統府見学へ。
見学料が無料なのが旅行者にありがたいのです。



P8291325.jpg

見学といってもガイドの人によって時間調整や他団体との関係上、中心的に解説するコンテンツが異なるので面白い。
今回は他の日本人観光客と同じグループで見学。
案内してくれる職員の方の達者な日本語にはつくづく感服してしまう。




P8291320.jpg

前回の旅行の時にも取り上げようと思ったけど、台湾の歩行者用信号機。
昔トリビアでも取り上げられてたけど、歩行者マークが歩くように動いていて、残り時間が少なくなると走りだすというもの。
日本の信号機よりもこちらの方が便利な気もするのだけど、日本と台湾の文化差や交通法規(青信号の点滅)の解釈の違いが感じ取れて、毎度面白く感じてしまうオブジェクトなのです。




2012台北旅行 その5 永康街から台北101

P8281202.jpg

中正記念堂を出ると、雨が上がっていた。



P8281205.jpg

昼食と散策を兼ねて永康街へ向かうことに
奥に見えるのが台北101

永康街には美味しそうな店が何軒かあったものの、目当ての餃子店が休業時間だったためパス。
服屋や雑貨屋などをぶらぶら



P8281208.jpg

永康街の中にある公園
ベンチで新聞を読む人、寝てる人などなど、平穏そのもの。



P8281209.jpg

消防署



P8281210.jpg

「一番長い」という意味深な鯉のぼりステッカーを貼ったトラック




P8281211.jpg

そのまま台北101へ
前回も行ったけど、相方は初めてだったし、PENで風景を撮ってみたかったので再度展望台へ!



P8281214.jpg

その前に昼食
日式ラーメンらしいけど、味付けはどこか台湾風でして、豚骨ラーメンな割にあっさりしてて美味w



P8281215.jpg

相方は定食を



P8281222.jpg

台風の影響であいにくの天気なれど、雨が降っていないのは不幸中の幸い!



P8281240.jpg

P8281241.jpg

P8281227.jpg


望遠レンズに交換してみたり。




P8281235.jpg

PENのアートフィルターから、ジオラマモードで撮影。
なるほど、ジオラマらしく写るw



ちなみにジオラマモードで動画を撮影すると



こんな感じ




P8281275.jpg

台北101を出ると再び雨に



P8281282.jpg

夕飯は前回の旅行で知り合った台湾人の友人とその家族に誘われまして、香港料理のレストランでご馳走していただきました笑
謝謝!

ちなみにこれは鳥の脚!

2012台北旅行 その4 中正紀念堂

P8281136.jpg

華國大飯店 綺麗だし、アクセスもいいし、ロビーでWi-Fiも使えてなかなかよかった。



P8281140.jpg

出発前から分かっていたものの、台風直撃!Oh!



P8281143.jpg

市街地もこのとおり



P8281148.jpg

中正記念堂に行ってみることに
「中正」(蒋介石の本名)が示す通り、蒋介石の顕彰施設となっています。
正門はとにかく巨大



P8281155.jpg


本堂の階段は修復工事中にて上がれず。
(別にあるエレベーターで行けたみたいです。)
ちなみに階段の数は84段、正門の5段と合わせて蒋介石の享年89と同じようにされてたり。

敷地面積は広大で、広場やイベント会場として機能してるようです。




P8281162.jpg

126歳なのね笑



P8281164.jpg

丁度本堂の儀仗隊が交代して帰ってくるところだった。
当日は空軍の儀仗兵でした。




P8281170.jpg

P8281167.jpg

本堂で恐竜展が開催されていたので、このような広告も笑




P8281175.jpg

中山先生と中正先生



P8281185.jpg

公用車だったキャデラック



P8281188.jpg

蒋介石総統が生前着ていた軍服


P8281192.jpg

このようなパオも着ていた模様




P8281194.jpg

P8281195.jpg

こんな家庭料理を食べていたなんて・・・美味しそう!




P8281200.jpg

実は中正先生は復活されていたのです!
この折襟の中山服、カッコいい!



P8281198.jpg

先生に礼!

2012東京AFVの会(2)

PB231938.jpg

ドイツの代表的な戦車たち
右のティーガーIが賞を受賞されてました。



PB231907.jpg

個人的にはこちらのティーガーIIの方が気になってまして、
いつかはこのような質感のある塗装ができるようになりたいと、つくづく思うところです。
砲塔の後部ハッチから薬莢が排出されてたり、緻密な塗装が素晴らしかったです。



PB231955.jpg

パンターも淡い迷彩塗装が印象的でした。
砲身の偽装なども丁寧で、最後まで気を抜かないで作っているのが感じられました。
というのも、自分が作った車輌なんかは塗装が終わって油断し、偽装なんかは素材をそのまま乗っけただけで終わってしまったので、このような「1/35サイズの戦車兵が取り付けた」感じの出る偽装は見習いたいと思いました。



PB231956.jpg

対空用の増加装甲なんてものがあったんですね!初めて知りました。
こういうものが見られるのも模型の醍醐味かも



PB231964.jpg

受賞されていたティーガーI
自分は知識がない(実はティーガーを作ったことがない)ので、具体的にどのような工作が行われているのか分からなかったのですが、ゲペックカステンから荷物をのぞかせていたり、丁寧に作られているように感じられる作品でした。ベースの雪と泥道も気を抜かずに作られていて、雪の履帯へのつき方なども参考にしたいと思う作品でした。



PB231965.jpg

個人的には車輌よりもさらに戦車兵が光っていたようにも感じました。




PB231922.jpg

こちらは機関車のモデル(型は失念してしまいました・・・)
塗装もさることながら、鉄道模型の砂利を使用されたという石炭もスケール感にマッチしていてよかったと思いました。




PB231954.jpg

情景のテーブル
来客数が多かったためか、テーブルが厳密に部門分けできずに混乱してしまったりしていました。
情景作品は数は少なかったものの、大型の情景が多く、目を引いていたように思われます。




PB231936.jpg

エントリーはされていなかったようですが、草地のところどころまばらな生え方が、自然の草原と違う、人が踏み入ってそうな土地の草地らしさを出していてよかったように思いました。
植木鉢など、情景の芸の細かさに目がとられる作品でした。



PB231937.jpg

こちらも同じ方の作品
廃車らしさが出ている車に、動物、助手席の人形など、こちらも小さい情景に細かな演出がふんだんにあって面白かったです。




PB231916.jpg
PB231917.jpg

擱座したT34をよそに、橋を行軍中のドイツ軍を再現した作品
実際の戦争においては状況中よりもこうした移動の時間がはるかに長いと聞きますが、MGを重たそうに担ぐ兵士など、徒歩行軍の苦労を思わせる作品でした。
牽引されているのが20mm機関砲なのがまた渋いチョイスだと感じました。



PB231919.jpg

こちらは、前日に無理を言って誘った友人のもの。
急な参加のため大分前の作品を引っ張りだしてきたということで(申し訳ないw)、
セヴァストポリ陥落後に送還されるソ連海軍歩兵のジオラマです。
捕虜送還は情景のテーマとしては割と珍しいシーンかもしれません。



PB231927.jpg

PB231929.jpg

PB231912.jpg

ドラゴンのフィギュアを、若干ポーズを変えただけなのに、塗装でここまで精密にできるのか思った作品です。
またタミヤの徽章デカールが思っていたより精密だったのが意外でした。(肩章や襟章はまだしも、コカルデまであるんですね)

作者の方は非常に気さくな方で、塗装方法などを教えていただきました。
工作も、例えばシェパードにつながれたリードはリングを介して首輪とつないでいたりと、細かさが伝わってくるものでした。



模型誌を読むのも気づいた時くらいで、模型製作もスローペースな自分としてはいい刺激になったイベントでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。