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歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

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フランス編その7 ノルマンディーの戦史跡1 カーン平和記念館

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 翌朝、朝6時前にホテルを出発し、ツアーの集合場所であった現地旅行会社の建物へ。
 ツアー客は自分を合わせても10人で、みなアメリカ人。唯一の日本人というか東洋人は自分だけだったのですが、むしろアウェーさを楽しみながら出発。(極力母国文化や母国語から離れて過ごしてみる、というのが海外ひとり旅の醍醐味ですからね。)


 この日は事前に申し込んでいたツアーのバスで夜明け前のパリを出発し、目的地を目指しました。




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 都会のパリから北へ高速道路で2時間ほどでしょうか。
 だんだん車窓から見える景色も、牧草地帯の広がる開けた場所になってきます。




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 最初の立ち寄り先であるカーン平和記念館へ。
 まずはカーン、フランス北西部ノルマンディーの中心都市にやってきたのです。



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 今回のツアーは「ノルマンディー上陸作戦の戦史跡」を回るもので、かねてから人生で一度は訪れてみたいと思っていた場所を旅行のクライマックスとして組みこんでみました。



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 エントランスにはノルマンディーでもドイツ軍から恐れられたホーカー・タイフーンが掲げられておりました。



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 4門もの20ミリ機関砲と対地ロケット弾は、ドイツ軍の兵站線や地上部隊に対して大損害を与え、その反撃を頓挫させたり撤退を阻害することに貢献しました。(ただしロケット弾の命中精度の低さから装甲車両への効果は限定的だったようですが。)





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 状態良く展示されているジープ。
 ノルマンディー上陸時には、撤退するドイツ軍よりも、連合軍の砲爆撃が現地のインフラを破壊してしまった面もあったので、海岸に揚陸した物資はトラックやジープを総動員して内陸部の部隊に届けられました。




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 展示内容はおおむね第一次世界大戦から始まります。




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 ヴェルサイユ体制とそれに基づくドイツに対する懲罰的な外交上の枠組みが、ファシズムを生む土壌になったというスタンスのようです。

 フランスの歴史において、長年対立してきたドイツとの関係史というものは欠かすことのできないテーマであり、また戦後にその長年の対立を互いに克服しようとした仏独両国の試みは、欧州石炭鉄鋼共同体→EC→EUと欧州統合の流れにつながる契機にもなりました。


 このように、ノルマンディー上陸作戦だけではなく、その前提にある第二次世界大戦について広く扱っています。




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 開戦後、フランスはすぐにドイツに屈したイメージで語られることが多いですが、遅ればせながらフランスも苦慮しつつ戦時体制の構築に勤しんでいた面がうかがえました。




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 展示されているのは当時のフランス軍装備
 壁に立てかけられた軽機関銃は国産のFM mle 1924/29


 展示内容として面白かったのは「なぜフランスはドイツ軍に敗れたのか」という内容の展示が多かったことです。
 塹壕戦の遺産であるマジノ線の構築、無線や機動戦術の軽視、硬直化した政府や軍司令部の稚拙な戦争指導など、自国の対応のまずさも目をそらさず取り上げていたのは興味深かったです。



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 また自由フランス軍に欠かせなかったものが、中東やアフリカの植民地兵の存在でした。
 2006年には自由フランス軍の植民地兵をテーマにした映画『デイズ・オブ・グローリー』が話題を呼ぶなど、フランス国内でも植民地兵の功績について再評価する動きがあったようです。

 移民問題を抱えることで有名なフランスではありますが、古くから多くの移民を受け入れてきたのも、兵力不足や労働人口の不足を補う国策的な理由があったことを考えると、単純な移民批判に終始できる問題ではないことが想像できます。












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 自由フランス軍は北アフリカでもドイツ軍と交戦していたこともあってか、DAKの装備も。




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 MG34と柄付手榴弾




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 ゲッベルスによる総力戦演説の映像と、ドイツが国内にプロパガンダを浸透させる目的で普及させた国民ラジオが展示されていました。



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 並行して極東の様子も



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 こんなものも



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 イタリアの有名なプロパガンダポスターも




 第二次世界大戦全般についての展示が終わると、いよいよD-dayに関する展示へ繋がっていきます。


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 大西洋の壁に築かれたトーチカの例

 トート機関によって捕虜や占領地民を動員して建設されました。




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 この陣地は有名な写真にもある海軍のトーチカで、水雷艇用の15センチTbtsKC/36カノン砲を地上に転用したものです。(いわゆるドイツにおける「水雷艇」(魚雷艇)は、米軍のPTボートに相当する高速魚雷艇のSボートとは異なるジャンルのもので、小型駆逐艦ともいうべきサイズのものでした。)

 ドイツ海軍が建設した沿岸陣地の多くは、沖合の敵艦船を狙うことを主目的としており、高い角度で落下してくる敵弾や空爆を警戒して、このように天蓋も分厚いコンクリートで囲ったものや、戦艦の主砲塔をそのまま移植したものが多いです。(ただし写真にあったこの陣地は連合軍の事前爆撃で破壊されてしまいました。)

 (一方でドイツ陸軍の建設した陣地は、上陸直後の敵地上部隊を主目標としていたので、オープントップ式の陣地が多い傾向にありました。)

 こうした新型の艦載砲を移植した模範的な陣地ものは最上のもので、広大な海岸線をカバーするためには、占領国から鹵獲して使い道の無い砲、旧式化して二線級になっていたもの、旧式戦艦から取り外して保管していた艦載砲、試作兵器など多種多様な砲が据え付けられ、それらに合わせた砲弾や部品の調達に補給担当者は大いに苦労したといわれます。

 


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 一般的な北が上になる地図に見慣れているので、イギリス側を手前にして上陸目標を上に配置する見せ方はとても斬新でした。

 イギリスのどこから、どの部隊が、どこを目指したのかがひと目に分かる展示でした。

(日本の周辺地図の中にも、中国やロシアから見た視点で地図の向きを変えて、防波堤としての日本像を浮かび上がらせる図がよくありますよね。)




 展示されていた装備品をいくつか


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 王立砲兵連隊の将校のようです。
 置かれていたリボルバーはエンフィールドのダブルアクション専用モデルであったNo.2 Mk1*でした。




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 上陸した英軍の装備例
 ノルマンディー上陸作戦といえばオマハ・ビーチなどの米軍にアサルトベストが支給されていたことで有名ですが、英軍とカナダ軍の一部にも似たようなアサルトジャーキンが支給されていました。(もともと43年のイタリアでコマンド部隊が使っていたようです。)

 米兵の多くは重くてかさばるアサルトベストを嫌って脱ぎ捨ててしまったと言われますが、英兵も同様に邪魔になるアサルトジャーキンを脱ぎ捨ててしまうことが多かったようです。




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 こちらは衛生兵の所持していたもの。
 多種多様な薬品や包帯を携行したのが分かります。



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 パンツァーシュレックとそのロケット弾、ZF41の装着されたKar98k
 手前にあるのは小銃用のオイル缶



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 大西洋の壁にも多数埋設された跳躍地雷のSミーネ(Sマイン)





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カーンの攻撃を担当するのはイギリス・カナダ軍でしたが、ドイツ軍の第21装甲師団の反撃に対する迎撃のため一時進撃を停止したこともあり、初端から計画通り解放に至りませんでした。

 県庁所在地にして交通の要所であるカーンをめぐっては、ドイツ軍の装甲教導師団およびSS第101重戦車大隊の一部が布陣して連合軍と激戦が繰り広げられ、有名なミハエル・ヴィットマンの活躍したヴィレル・ボカージュの戦いもカーン攻防戦に関連して発生しています。
 また同じくカーンに配置されていた第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントが連合軍の想像以上に激しく抵抗するなど、7月になっても攻め落とせない状況が続きました。

 業を煮やした連合軍は大規模な爆撃と艦砲射撃を行い、7月21日になってようやくカーンを解放することができました。




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 しかしその「解放」のための戦いによって市街地にも爆撃や艦砲射撃による被害が発生しており、カーンは廃墟になってしまいます。
 これらは当時の被害を物語る品々だそうです。

 ドイツ軍に占領され、連合軍による攻撃目標にされたカーンの人々の複雑な心境が読み取れました。
 (カーンに限らず、連合軍の砲爆撃によるフランス市民の死傷者は多く、ノルマンディー戦でドイツ軍が野戦病院のベッドを増設したところ、ほとんどがフランス人で埋まってしまった事例も)



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 カーンを突破した北部のイギリス・カナダ軍と、南部から回り込んだ米軍によって8月21日には5万のドイツ軍を包囲する、いわゆるファレーズ・ポケットが形成されます。
 これによってドイツ軍は潰走し、4日後にはパリ解放に至ります。




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 昼食は博物館内のレストランで地元の料理とワインをいただきました。
 (ツアー客のアメリカ人に、なんで日本人がこのツアーにとあれこれ尋ねられながらの昼食となりました笑)



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フランス編その6 ル・ブルジェ航空宇宙博物館(4)

航空博物館だけあって、飛行機開発の歴史に関する展示も面白かったです。



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 フランス人のジャン=マリー・ルブリが19世紀中頃に考案した操縦式グライダーのレプリカ




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 馬車でけん引しながら高度100mまで上昇し200m飛ぶことに成功したようです。




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 航空史の黎明期に欠かせないのはやはりオットー・リリエンタールのグライダーでしょう。
 おそらく航空博物館を標榜する場所ならばレプリカや模型が必ず置いてあるのではないでしょうか。



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 当時のエンジニアの作業場を模して作られたセット。
 ベタですがラピュタとか紅の豚に出てきそうな作業場で憧れます。



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 図書館によくある子供向けの科学辞典で見たことのある飛行機が数多く並んでおります。



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 初めて英仏海峡の横断に成功した飛行機として有名なブレリオXIのレプリカ
 開発者にしてパイロットであったルイ・ブレリオもフランス人ですが、航空史におけるフランスの存在はとても大きなものでした。

 ブレリオ単葉機はフランスに飛行可能なレプリカがあり、実際に乗って体験搭乗することができる催しもあるのだとか。



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 ブラジルの飛行機王アルベルト・サントス・デュモンの開発した飛行機のレプリカには、デュモン本人と思われるマネキンまで載せられていました。
 飛行機だけでなく自身が開発した飛行船でエッフェル塔を一周するなど、フランスを拠点に精力的に飛行機械の開発を行いますが、第一次世界大戦で飛行機が兵器として用いられていく状況に絶望し、悲惨な結末を辿ってしまう人物です。




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 飛行船関連の展示はさすがに模型が主でしたが、それでも飛行船の勃興から繁栄そして没落まで、その技術や形式の変遷を丁寧に展示していました。




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 飛行船というとツェッペリンの硬式飛行船が思い浮かびますが、それより前の時代に多くの軟式飛行船の歴史があることを思い出させてくれます。



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 他にも室内展示は多数あったのですが、ここに来て閉館時間(オルセー美術館でゆっくりし過ぎたかも)




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 ミュージアムショップに立ち寄り。
 RAF博物館のお店よりはちょっと小さいですけど、航空グッズはなかなか充実していました。

 プラモデルはレベル、イタレリ、エアフィックスがメインでした。




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 フライトジャケットのレプリカも売ってました。




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 さて5時も過ぎると冬のパリは観光地も閉まってしまうので、とりあえず地下鉄でパリ中心部へ戻ります。





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 とりあえずアンヴァリッド近くで下車して夜のパリをぶらついてみます。
 オテル・デ・ザンヴァリッド、通称アンヴァリッド(廃兵院)も見学時間は終わってしまいましたが、夜はこのように綺麗にライトアップされています。
 ナポレオンの棺があることで有名ですが、並べられた大砲の中には幕末に長州藩から鹵獲した砲もあるのだそうです。





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 ただ、夜のパリでもエッフェル塔は夜の11時まで営業しており、せっかくなので登ってみることにしました。

 アンヴァリッドからエコール・ミリテール(旧陸軍士官学校)を目指して歩き、士官学校の目の前にあるシャン・ド・マルス公園を臨むとエッフェル塔が正面に見えます。(本当は「正面」は無い建物なんですけども)
 シャン・ド・マルス公園はかつてフランス軍による閲兵が行われていた場所でもあります。(士官学校の目の前にあるのはそのため)





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 展望台は東京タワーと同じく二箇所あり、最上階まで行くものとそれ以外では料金も異なります。
 が、最上階まで登ってみました。





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 パリのライトアップは暖色系で統一されており、また放射状の大通りがひと目に分かってなかなか壮観でした。
 
 ちなみに手前がエッフェル塔に来るまで通ってきたシャン・ド・マルス公園でその先に旧陸軍士官学校があります。




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 最上階には世界中のランドマークタワーの建っている方向、そして高さの比較図が掲載されていました。

 台北101もありますね。日本は東京タワーでした。(そのうちスカイツリーになるのでしょうか)






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 チョソンはやはり主体思想塔なのかー笑





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 夕飯は遅めですが、駅に向かう途中で見かけた小洒落たレストランでサッカー中継見ながら食べてました。





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 さて、その駅なのですがホームで電車を待っていると、北アフリカ戦線の自由フランス軍のモニュメントが。
 駅名をよくよく確認してみると"Bir Hakeim"(ビル・アケム / ビル・ハケイム)じゃありませんか!

 エル・アラメインの戦い直前、ビル・アケムの砦に籠城した自由フランス軍の敢闘を讃えての駅名なのでしょうか。
 この戦いで自由フランス第1旅団は、独伊軍の度重なる砲爆撃と猛攻に二週間も耐え、イギリス第8軍の補給と再編成のための貴重な時間を作り、続くエル・アラメインの勝利の原動力となりました。
 




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 建設から150年近く経とうとしているエッフェル塔も今でこそパリのシンボルですが、建設当時はその奇抜なデザインから賛否両論の論戦が繰り広げられた建物でもあります。

 そんなエッフェル塔がこのように街角の間からニョッキリ見える姿を見て、19世紀のフランス人たちはどのように感じたのか想像しながら、ホテルに戻りました。


 翌日、旅行の最終日はいよいよフランス滞在の目的地に向かいます。


フランス編その5 ル・ブルジェ航空宇宙博物館(3)

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 第二次世界大戦で使用されたフランス製戦闘機であるドヴォワティーヌ(ドボワチン)D.520。
 前世代機のモラーヌ・ソルニエMS.406やアメリカ製P-36などと共にフランス戦闘機隊の主力としてドイツ空軍と交戦した機体です。

 この機体が見られたのは大きな収穫でした。(帰国後、タミヤから発売されている1/48キットを衝動買いしてしまいました笑)
 
 主翼に7.5ミリ機銃が合計4挺、プロペラ軸内に20ミリモーターカノンが搭載されています。




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 撃墜されるドイツ軍機が描かれたバックスクリーンと共に勇ましく展示されています。

 見ての通りコックピットが主翼より後方に配置され、さらに座席の高さが調整できるようになっていたため、下方視界が良好だったそうです。またフランス戦闘機としては数少ない20ミリ機関砲搭載機であったため、しばしば対地攻撃にも用いられました。
 一方でコックピットの前に機体が長く突き出ているために、離着陸の際には視界が妨げられて不便だったようです。




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 引き込み脚もMS.406より洗練され、また舗装されていない野戦滑走路からの離陸も考慮して幅広の低圧タイヤが取り付けられるようになりました。
 
 機体もMS.406がホーカー・ハリケーンのように半分布張りだったのに対し、D.520ではほとんど金属製に進歩しています。(ただし尾部の一部とエルロンは布張り。)
 それでも生産性はかなり向上しており、整備性と信頼性も高かったと言われています。

 搭載していたイスパノ・スイザエンジンが930馬力と若干非力だったこともあり、メッサーシュミットBf109などのライバル機に比べ速度で劣っていましたが、コックピット周りの装甲化や、パイロットが手元で操作できる圧縮空気式の消火システムなど独創的な防御構造を備えていました。






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 そしてさらに目玉が。

 「おおっ!! ハインケルHe111じゃないか!?」







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 ・・・と思いきや、これはスペイン空軍のCASA 2.111という、He111をスペインでライセンス生産したものになります。
 エンジンも戦後1953年にロールスロイス製マーリン500エンジンに換装されています。






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 CASA 2.111といえば映画『空軍大戦略』や『パットン大戦車軍団』でドイツ空軍のHe111役として出演していることで有名ですよね。





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 一見するとHe111と大差無いように見えますが・・・





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CASA2.111


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He111


 マーリンエンジンを積んだことでエンジンカウルやエアインテークが下に大きく突き出ております。(これはスペイン空軍のBf109でも同じ現象ですけれども)

 ただ、生きているHe111の映像として『空軍大戦略』のシーンが頭に染み付いている筆者としては、CASAの方が印象に残ってしまってもいます笑





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 大きな鳥かごのようなガラス張りの窓、個人的にこの時代の爆撃機で一番好きな構造物はここです。





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 大きなタイヤを華奢なパイプでつなぎ、爆撃機の巨体を支えているようにも見えて不思議な気分に




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 双発の中型爆撃機と言っても、後ろに回って見てみると、その機体の大きさを実感します。
 『空軍大戦略』の最初の閲兵シーンでも、たしかに搭乗員やキューベルワーゲンと比較して大きかったですよね。



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 ツギハギしたような尾部の構造も味があっていいですね。




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 フランスでもドイツ軍地上部隊を苦しめたP47もありました。




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 合計8挺もの50口径機関銃を搭載しているので、瞬間火力はすさまじいものだったと予想されます。

 機銃の配置が段差をつけてズラしてあるのは、それぞれの機銃の弾倉が干渉しないようにするためかしら?




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 こちらもヤーボや護衛戦闘機としてドイツ軍を悩ませたP51。
 SPRでラメルの橋に降りた天使ですね()




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 スピットファイアもありました。
 これはMk. XVIで1944年に生産された型になります。

 スピットは武装によって主翼形状も異なる機体ですが、こちらは20ミリ機関砲とその隣に50口径機関銃を搭載したEウィングになります。




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 こちらも状態はかなりよさげ




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 ドイツ空軍がフォッケウルフFw190を投入しスピットが一時期惨敗したことを受けて、対策として性能向上を図ったMk.IVが生産されますが、搭載する新型のマーリンエンジンの供給に不安があったため、アメリカ製マーリンエンジンを搭載して作られたのがこのMk.XVIです。

 しかし微妙にエンジン構造が違うことから、本来のMk.IVとエンジン周りの張り出しなどが異なるんだとか。



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 そんなスピットを苦しめたフォッケウルフFw190ですが、後期型の一つであるFw190A-8がありました。



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 V-1もあります。
 北フランスからロンドンに向けて発射されたという意味では、フランスにとってもいろいろ縁のある兵器なのかもしれません。




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 こういう部分を見ると「爆弾に動力を取り付けた」とするコンセプトも解るので、「飛行爆弾」の名称の方がしっくりくるようにも思いました。




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 ビュッカー Bü181 ベストマン初等練習機
 なかなか珍しい機体です。
 練習機としてだけでなく、連絡や偵察にも用いられました。

 1945年3月にはソ連軍の侵攻を食い止めるべく、あらゆる対戦車兵器をかき集める名目でBü181も動員され、両翼にパンツァーファウストをマウントして対戦車攻撃機にしたり、50キロ爆弾3発を搭載して夜間の嫌がらせ爆撃機に改造されたりしています。
 またそれらは実戦に投入されそれなりの戦果を挙げたとも言われますが詳細は不明です。いずれにせよ無茶な改造と任務により大きく損耗したようです。
(後日、ベルリンの博物館でパンツァーファウスト搭載型のBÜ181を見ることできました。)




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 チケットを購入していると、このようなDC-3/C-47のシュミレーターや内部見学をできたみたいですが、時間がなかったので断念。




 ル・ブルジェの最後は、軍用機とは違う展示を見て行きたいと思います。


フランス編その4 ル・ブルジェ航空宇宙博物館(2)

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ではボーイング747の中に入ってみます。



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 コックピットの中まで入ることができます。
 計器にかこまれたメカメカしい雰囲気がいいですよね。



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 機首部分の客室。航空会社によっては違うこともあるそうですが、おそらくファーストクラスのような上級座席だと思います。
 先細りになっているのに対応して、カートも三角形なのですね。



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 客室乗務員のマネキンがいたるところに




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 普段は客席しか目にできない旅客機ですが、ここでは貨物室や機械室なども覗けるので、巨大なジャンボ機の構造と合理性が実感できる展示でした。
 (DC-2みたいな双発レシプロ旅客機から僅か30年で何百人も運べるジャンボ機が出てくることを思うと、技術の発達に注がれるエネルギーの強さのようなものを感じてしまいます。)




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 外の展示場に戻ってみます。
 
 こちら、東ドイツ空軍仕様のSu-22。NATOコードはフィッター。
 東側諸国に広く輸出され主に対地支援や偵察に用いられました。


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 Su-22はSu-17の輸出型ですが、Su-17の初飛行は上のボーイング747と同じ1969年で、比較的新しい機体です。



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 そのSu-22と背中合わせに展示されていたのが、同じく東側を代表する機体のひとつ、MiG-23でした。
 

 本来はMiG-21の後継機となるはずでしたが、可変翼の複雑な構造や整備性が嫌われたり、性能が落ちるモンキーモデルの戦歴ばかり取り上げられて若干不遇な機体かもしれません。



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 可変翼は折りたたまれていますが、低速時にはこの主翼を前に突き出して揚力を稼ぐことができます。
 これによって、敵の攻撃で滑走路が破壊された時や、規模の小さい野戦基地などから前線支援に出撃する時でも、短距離離陸して出撃できるメリットがありました。
 Su-22やMiG-23は前線ですぐに陸軍部隊を支援できるような運用を想定していました。







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 特徴的な主翼形状のサーブ35ドラケン



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 サーブ37ビゲン




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 ビゲンの奥にあるのはサーブ32ランセン


 このようにスウェーデン軍機は充実のラインアップ





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 イギリスとフランスの共同開発で生まれたジャギュア攻撃機
 ワルシャワ条約機構軍の機甲部隊を叩く近接支援機として開発されました。
 
 日本のF-1はこれを模倣した・・・という噂が立ったりも。



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「おお、シュペル・エタンダールだ!」
と思ったら、これはÉtendard IV(エタンダールIV)で、改良型のシュペル・エタンダール(シュペル=Super:超)とは別の機体なのだと帰国後に知りました。

 どうしてもシュペル・エタンダールの方がフォークランド紛争で活躍した有名な機体なので、つい早とちり




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 旧式機ばかりかな、と思ったらちゃっかり第4世代以降のラファールAが展示されておりました。
 さりげなく置いてあるけどいいの?笑



次の記事はレシプロ機を見て回ります。

フランス編その3 ル・ブルジェ航空宇宙博物館(1)


 メトロ7号線に乗り、パリの北部郊外へ。目指すはル・ブルジェ航空宇宙博物館(パリ航空宇宙博物館とも)
 地下鉄やバスの利用が多くなる時は、モビリス(Moblis)のような1日乗車券が便利です。

 今回はほかの方の旅行記を参考にしながら向かってみました。



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 まず目的駅はラ クルヌーヴ 1945年5月8日駅(La Courneuve 8 Mai 1945)。
 ドイツが降伏文書に調印したヨーロッパ戦勝記念日に因んだ駅名です。


 ところで、パリの地下鉄、ドアは自分でレバーを跳ね上げてプシューと開くシステムなのですが、電車が完全に止まる前にみんな開けていくので日本の地下鉄との違いに驚きます。
 さらに「どっから侵入したんだ?」と思ってしまうのですが、地下鉄トンネルの壁面に落書きが多く、車内も引っ掻きキズで落書きされていたり、身体障害者(のフリをした?)物乞いが乗車してきて大声で募金を募るなど、なかなかカオスでした。
 変わったところではドア付近に折りたたみ式の椅子がありますが、これは混雑してきたら立つのがマナーだとか。

 


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 地上に出ると路面電車の駅と直結していました。
 街は全体的に下町という感じで、もともと労働者の住むアパートなどが多い場所のようです。




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 ここから152系統のバスに乗るのですが、バス停の位置がどうにもわからない・・・

 と思ったら、左下のあたりに小さく「152」と記載された場所が。駅から若干離れています。



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 円形交差点の中心にある駅から、この飛行機のようなペイントがされた建物のある角へ進みます。



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 バス停まで歩いて5分くらいでしょうか。
 この時は周辺で道路工事などがされていて、雑然とした雰囲気。

 移民系の経営する雑貨屋などもあり、そこでビジネスシューズが10ユーロと安かったので購入して今も使ってたり笑




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 152系統バスのÉdouard Vaillant-Jean Jaurèsというバス停から乗車し、そこから10番目のMusee de l'air et de l'espace(ミュゼ・ド・レール・エ・ド・レスパス =航空宇宙博物館)というバス停で下車します。

 バスの進行方向も書かれていますので、行き先も確認しておくといいでしょう。




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 こちらのバスに乗ります。

 音声案内しかなかったので、止まったバス停の数を確認しつつ、外を見ながらどこで降りるか待ち構えておりました笑





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 ついに博物館に到着。バス停の目の前です。
 すでにフランスの宇宙ロケットであるアリアンが見えています。

 入館料は無料ですが、チケットを購入するとB747やC47などの機体の内部見学をすることができます。



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 フランスは今もエアバスやダッソーといった世界有数の航空機メーカーを擁する航空大国ですが、宇宙開発においても古くから国産ロケットを打ち上げてきた実績をもつ国です。

 宇宙開発のエリアでは、冷戦期から今に至るまで各国の衛星やロケット、関連して弾道ミサイルまで展示されていて、知識がなくてもそのメカを見て楽しめる場所でした。




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 チェコ空軍のMiG-21

 実はこれはチェコが冷戦後にNATO仕様に改修した"MiG-21MFN"という型で、2005年まで運用されていました。
 ミグ21は整備のしやすさ、安価な運用コスト、格闘性能の高さなどを買われて、東欧諸国ではミグ23やミグ29の運用を廃止してまでもミグ21の改修を続けて運用を継続するケースが見られます。

 チェコではさらに魔改造する計画もあったようですが、小型の機体の性能向上には限度が出てきたようで、スウェーデンからJAS-39グリペンを導入する形でこのミグは退役になりました。



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 機体デザインもそうですが光沢のある銀翼も時代を感じさせますね





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 これはカナディアCL-215というカナダの飛行艇
 なんでも消防機として運用されているようで、湖などから給水しつつ離水し、森林火災などに対応するのだそうです。

 開発国の運用思想が分かる機体って面白いですよね。



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 ロッキードP-2ネプチューン
 海上自衛隊でも使われていた対潜哨戒機ですね。




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 左はフランスのアトランティック対潜哨戒機、上のP-2の後継機として導入したそうです。
 右はノール262 フランス海軍では連絡機としての運用でしょうか



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 フランスと西独の共同開発機でもあるC-160、その後ろにそびえるのは…




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入り口からも見えたアリアン5ロケットの実物大模型です。



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 アリアンシリーズの最初のロケットであるアリアン1もありましたが、5との形の違いがよく分かります。







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 エールフランスで使われていたボーイング747
 チケットを購入していたので内部見学をしてみました。


フランス編その2 セーヌ川沿いの景観 

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 翌日、ふたたびコンコルド広場へ。
 この日は天気は曇りなれど、雨もやんでそこそこの散歩日和。

 もともとは『ルイ15世広場』という名称だったのですが、革命期に『革命広場』と改称され(ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめ「反革命」とされた人々の処刑が執行された場としても有名ですね)、そして革命の混乱が静まった後に『コンコルド(調和)広場』という名前に改められて今に至ります。

 広場と言っても、今では広い自動車道のようになっております。

 この塔(オベリスク)はエジプトから運んできたものなのだとか。





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 コンコルド広場の隣にあるテュイルリー庭園へ

 最初「テュイルリーって宮殿じゃなかったっけ?」と思ったりしたのですが、普仏戦争後のパリ・コミューン鎮圧戦の過程で焼失してしまったのだとか。



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 池を挟んで奥にあるのはルーヴル美術館。
 暖かい時期に行けばまた違った光景だと思いますけど、冬空の下でも絵になる場所だなと感じました。



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 カモメのような海鳥、"Mouette"という鳥が多いのが意外でした。
 内陸部の水辺にも生息しているようなのですが、人間の食べ物やゴミに慣れてパリでも増えてるんだそう。



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 ルーヴル美術館へ 有名なピラミッドが見えてきます。

 やはり世界的な観光地だけあって、エッフェル塔のミニチュアを大量にぶら下げたアフリカ系移民の売り子が多かったです。いわゆる「白人のフランス人の街」というのはステレオタイプに過ぎないんだなと実感します。

 売り子ならまだしもジプシーの詐欺師も多かったです。多い手口は『金の指輪』詐欺。もともと手に金色の指輪を持っていて、観光客とすれ違いざまに指輪を拾ったフリをして、「この指輪あなたの?」という体で話しかけてくる手口です。話に乗るとカフェで一杯おごってくれだの、ポケットの膨らみをさして「お金持ってるんでしょ?」と図々しくせがんできたり、ひどいケースになると「指輪を盗んだな!警察を呼ぶぞ」などと言いがかりをつけて示談金をせしめようとするのもいるんだとか。
 ロンドンのピカデリーサーカスでもスペイン訛りの英語で花を5ポンドで買ってくれとせがむジプシーに遭遇しましたけど、ルーヴル近辺だけで5回も話しかけられました。この手の絡みはジプシー系が多いだけで、時折白人もいたりするので、何事も要警戒ですね。
 
 あらかじめこの手の手口は事前に下調べしていたので何を話しかけられてもスルーしてましたけど、あっちも数撃ちゃ当たるの論法で手当たり次第外国人に話しかけているようなので、無視が一番のようです。



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 そう、休館日に来てしまったのです。

 ま、ルーヴルは1日かけても回りきれないというのと、本命はオルセー美術館だったので、外観だけ記念に見られれば十分でした。笑



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 セーヌ川の両岸。
 実はパリのセーヌ川周辺一帯がユネスコの世界遺産に登録されている景観なんだそうです。

 こういう見事なまでに整理されたパリの都市構造はほぼ第二帝政時代に完成して今に至るようです。
 東京の河岸の光景というと、例えば日本橋の上に高速道路が通っていたり、ありきたりな高層ビルや高層マンション、コンクリート護岸といったものでゴチャゴチャしてる場所が多いので、仕事柄そいいうものも比較して考えてしまったりします。
 無論、古来の建物をただ維持することが即ち伝統とは限らないですし、利便性とのバランスや、建築様式や思想にも変革がある点を考えないといけないんですけれどもね。

 その東京ですが、近年は隅田川周辺の再開発計画はパリをモデルに進めていたりするようです。


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 整然と並べられたパリの街路樹。

 冬のパリを歩いていていたこともあって、普仏戦争でプロイセン軍に包囲されたパリでは、補給が途絶えた中で冬の寒さを凌ぐべく、こういった街路樹を切り倒して薪にしていたなんてエピソードを思い出してしまいました。



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 オルセー美術館前にて。

 ちょうど旅行の一ヶ月前、イスラム武装勢力と交戦するマリ政府軍を支援するべくフランス軍が軍事介入したこともあり、テロを警戒してFA-MASを携行したフランス兵が市内の要所に配置されていました。
 (観光客と写真撮影に応じてる兵士とか結構いたんですが、警備上いいのかコレ笑)

 オルセーといえばルノワールやミレーといった日本でも有名な印象派の絵画が収蔵された場所ですが、日本人に人気があるという理由がなんとなく理解できた気がします。
 美術に特別深い造詣があるわけではありませんが、現物をみると、「資料集とかで見たあの絵ってこういう大きさだったのか」とか、「写真で見るよりこの部分が明るい」といった発見があって面白かったです。

 オルセーには戦争画をテーマにしたエリアがあり、騎兵の突撃シーンを描いた大型絵画の迫力は想像以上でした。
 個人的には、このエリアでは"Le Rêve"という輝かしい栄光の夢を見ながら休息中のフランス兵を描いた絵画が特に印象に残っています。
 http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Detaille_Le_R%C3%AAve.jpg



 展示スペースも訪問直前にリニューアルされていて、黒い壁面を基調とした展示スペースが新設されていました。
 黒い壁になったことで、印象派の絵画の特徴でもある光の明暗とか見せ方が分かりやすくなっていました。(ちょうど帰国後にテレビでオルセーのリニューアルの特集をやっており、日本人がデザインに関与していたなんて話を余韻に浸りながら聞いてました。)



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 「アレクサンドル3世橋」より
 名前の通り、1900年のパリ万博に合わせてロシア皇帝アレクサンドル3世から寄贈された橋です。
 この当時の仏露関係は露仏同盟もあり親密で、シベリア鉄道もフランスの支援によって建設が進められました。



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 建築規制など都市景観の保護政策のおかげで、こういうクラシックな景色を今でも見られるんですね。



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 ちょっとした街角を通っても、街路樹と銅像が立つ小奇麗な景色が見られます。




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 屋台で軽く昼を済ませて、午後は郊外にある目的地を目指します。



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