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歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

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フランス編その10 ノルマンディーの戦史跡4 ゴールドビーチからジュノービーチへ

P2286218_201404201631404a3.jpg

 オマハビーチからさらに東へ進みます。




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 古い石造りの教会
 当時もこのように佇んでいたのでしょうか。




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 オマハビーチの東隣の地区、英軍が上陸を仕掛けたゴールドビーチに到着します。




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 上陸作戦に参加した英第50歩兵師団は、ドイツ軍の第一陣を突破した後は比較的スムーズにビーチを制圧することができました。
 この点は、防備が固くミスが相次いだオマハビーチで米軍が多くの犠牲を出したのと対照的でした。





P2286220.jpg

 沖合に見えるのは人口のポンツーン港であるマルベリーB
 ドイツ軍の守りが堅い港を直接攻撃することを避けるため、代わりにこのような組み立て式の港が用意されました。

 オマハビーチにもマルベリーAと呼ばれる同じ人口港が設置されましたが、こちらは上陸二週間で嵐により破壊されてしまいます。
 一方でゴールドビーチのマルベリーBは修復しながら使用が続けられました。


 さらに沖合には廃船を自沈させて即席の防波堤を作っていたのですが、今ではその姿は見えません。











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 ゴールドビーチを見下ろすように設置されたモニュメント
 



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 一部ドイツ軍の陣地跡が残っています。




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 予習も兼ねて基本書は読んでおりました笑





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 続けてさらに東隣のジュノービーチに到着しました。

 こちらはカナダ軍が攻撃を担当した地区で、「カナディアンビーチ」とも呼ばれました。

 ジュノービーチはノルマンディーではオマハビーチに次いで防備の硬い地区で、カナダ軍は苦戦しつつも制圧し、そのまま前進してカーン・バイユー間の幹線道路の制圧に成功します。
 当初の作戦目標を完遂できたのは、ノルマンディーではカナダ軍くらいのものだったと言われています。




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 浜に展示されていたチャーチルAVRE
 チャーチル歩兵戦車にバンカー破砕用の280mm臼砲を搭載した特別仕様車です。





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 25ポンド砲らしき火砲などもありましたが、悪天候のためか幌がかけられていました。




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 コンクリート製対戦車障害物

 



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 半地下式のバンカー

 天井に視察窓がついています。
 (先のコーネリアス・ライアンの『史上最大の作戦』にあったソード・ビーチのエピソードで、扉が白くなるほど火炎放射器であぶられ、窒息しそうになるまでドイツ兵や東方義勇兵が立てこもっていたバンカーは、もしかしたらこのような型のバンカーだったのかもしれません。)




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 この型の半地下式のバンカーには機関銃が据えられていたようです。



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 小ぶりな記念館もあり、土産物もあります。



 ツアーではユタとソードビーチは回らなかったので、そのままパリへ帰還。


 途中、パリへ戻る高速のサービスエリアで休憩中、日本人客を大量に載せた別のバスが到着。
 ノルマンディー上陸作戦の舞台は、観光地として有名なモンサンミシェルの東にあるので、モンサンミシェル帰りの団体客だったようです。

 それを目にしたフランス人ガイドのおばさんに「日本人ってモンサンミシェルが好きよねぇ あなたは逆に珍しいわ」と言われたのを覚えています。




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 パリで最後の晩餐、最後にデザートとして本場のクレープを食べることに。




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 ピラミッド駅前のジャンヌ・ダルク像の近くにあるレストランでした。

 そういえばこのジャンヌ・ダルク像、フランスのコメディ映画『アデル・ファラオと復活の秘薬』で、ジャンヌ像に卑猥な言葉をかけながら立ちションをするシーンに出てきた場所だと思います。




 長々と書いてきた英仏卒業旅行の記事もこれで締めたいと思います。
 とても楽しい旅でした。


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フランス編その9 ノルマンディーの戦史跡3 オマハビーチとコルヴィル

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オック岬から東へ10キロほど
牧草地帯が続きます




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 オマハビーチにやってきました。

 ノルマンディーで最も堅固に防備されていた地区で、また駐屯していたドイツ軍の第352歩兵師団も比較的装備・練度が整った部隊であり、連合軍側のミスも重なり結果として上陸した米軍に多くの損害を与えました。






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 あいにく天候が悪いため、ビーチに下車することはできませんでした。

 オマハビーチというとスピルバーグのSPRのイメージが強いだけに、映画のやや彩度を落とした映像に見慣れてしまった自分にとっては、実際にはこのようなやや明るい砂色をしていたのが印象的でした。(もっともSPRの撮影地はアイルランドですが)




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 現在は住宅街になっている場所でも、背後にある崖には今でもドイツ軍のトーチカが残っています。




791px-1944_NormandyLST.jpg

 オマハビーチは断崖の上からも俯角を取れるように地形が造成され、また断崖にたどりつくまでに遮蔽物の少ない砂州を200ヤード突っ切る必要がありました。



800px-German_turret_at_Omaha_Beach.jpg

オマハにあったパンツァーターレット6基のうちの1基



オマハのドイツ軍の戦力は

兵力 7,800
 砲兵用バンカー 8
 機関銃陣地 85
 トーチカ 35
 トーチカ(戦車砲塔) 6
 野砲 4
 迫撃砲陣地 6
 対戦車砲 18
 ネーベルヴェルファー陣地 45
 その他機雷・障害物多数

というものでした。

 



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 オマハビーチの崖を登るように道を進みます。




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 訪れたのはコルヴィルの米軍墓地です。





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 ユダヤ教の墓碑もあります。
(SPRでは監督の意向を感じさせるようなアングルで映っていましたが)







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 SPRの冒頭で例の老人と家族が歩いていた道






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 コルヴィルの墓地はオマハビーチが見下ろせる位置にあります。




spr.jpg

 映画になってしまいますが、当時はこのような景色だったのでしょうか。





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 SPRの冒頭と最後で翻っていた星条旗(結局連想するイメージがSPRになってしまう)





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 礼拝所もあります。



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 モニュメントには作戦の概略図が掲げられていました。




 この時、ツアー客の一部のアメリカ人家族といろいろ会話。
 彼らは特に第5軍の戦没者の関係者というわけではなかったそうですが、「君は日本人だけど、ここに来てみてどう思った?」などなどと尋ねられたり。

 もちろんアメリカにとってここは対独戦の地ですが、そこにかつての交戦国である日米の観光客がいるというのも何か考えさせられるものがありました。
 「戦争なんてロクなもんじゃないネ」とアメリカ人らしく締めてこの地を後にしました。
 
 



フランス編その8 ノルマンディーの戦史跡2 オック岬

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 バスでフランス人ガイドのおばさんが、地図を片手にカーンを出て、バイユーを経由し海岸陣地へ向かう旨を説明してくれました。(このカーン・バイユー間の幹線道路はカナダ軍の制圧ポイントでもありました。)

 (フランス訛りの英語が、どことなく日本人のカタカナ英語っぽくて聞き取りやすかった笑)

 カーンもバイユーもかなり海岸に近い都市であることが分かります。(つまり艦砲射撃圏内)




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 冬だったので枯れ木になっていますが、ノルマンディー地方特有の畑の生け垣であるボカージュ(Bocage)が多く見られました。
 海岸地域のため防風林や畑の乾燥防止、薪の供給源といった様々な用途から植えられてきたものですが、戦中は防御戦闘にあたるドイツ軍がボカージュを利用した待ち伏せを行っていたとよく言われます。
 (ゲーム『PANZER FRONT』をプレイした人ならば、アンブッシュやボカージュ越しの側面射撃でだいぶお世話になったのではないでしょうか笑)

 こういうところでも「おおノルマンディーに来たんだ」と実感します。




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 ガイドさんを筆頭にぞろぞろと。

 まずはオック岬(Pointe du Hoc)にやってきました。




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 さりげなくこういうモニュメントが置かれていたりします。

 砲の形からして、フランス製K418 155mmカノン砲だと思われます。
 第一次大戦時の砲ですが、フランス降伏後ドイツ軍に鹵獲され、多くは大西洋の壁に配備されました。





 Pointeduhoc1.jpg

 ドイツ軍の陣地略図



 このフランス製重砲はオック岬にも対艦攻撃用に6門配置され、連合軍の航空偵察でもバンカーにそれらしきものが確認されたことから、アメリカ第2レンジャー大隊による攻略が企図されました。

 オック岬はオマハビーチから3マイル西にあり、またオマハとユタの中間地点に位置する場所で、これらの重砲が両海岸を狙えることも連合軍の重大な懸案事項でした。




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 バンカー跡が見えてきます。





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 爆撃のクレーターが今も残っています。
 これらのクレーターは、崖をよじ登ってきたレンジャー隊員が身を隠す場所にもなりました。





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 当時の爆撃の模様。
 かなりの密度で爆撃されたことが分かります。




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 オック岬を爆撃するA-20ハヴォック
 ただし爆撃そのものは4月25日にA-20が、5月には2回に分けてB-26によって、また6月にはD-dayの2日前からA-20、B-17、モスキート、ランカスター、B-26などによって連日爆撃が行われました。

 さらに海からも戦艦テキサス以下、米英軍の艦船による艦砲射撃が行われました。




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 激しい砲爆撃のためでしょうか、半壊したバンカーが多かったです。






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 退避壕か連絡路があったのでしょうか。
 これも一部原型をとどめている状態でした。






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 155mmカノン砲用のバンカー。

 当時レンジャーが多数の犠牲を出しながら崖をよじ登ってみると、バンカーにあるはずの155mm砲は姿を消していました。

 上陸前から頻繁に爆撃されたこともあり、155mmカノン砲も陣地を転換していたのでした。
 (オック岬制圧から2時間後、第2レンジャーの斥候が岬から1マイル離れた場所に偽装されて放置されている5門の155mmカノン砲を発見し、これを確保しています。)





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 カノン砲用のバンカーには、今ではこのような展望台が設けられています。






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 最優先攻撃目標のバンカーだったと思われますが、ほとんどは原型をとどめていました。





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 連絡壕は一部崩落もしくは埋まっておりました。






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 おそらく上の陣地略図でいうと西側の対空陣地。
 連絡壕とつながっていた場所のひとつです。

 オック岬には2門の20mmFlak30高射機関砲が配備されていたようなので、もともとは機関砲が据えられていたのだと思われます。



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 こちらは対空陣地とは別の機関銃陣地用のバンカー



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 固有のマウントなどはなかったので、可搬型のマウントもしくは三脚などを用いたのでしょうか。
 全周旋回できることから、20mm機関砲と共に対空戦闘にも使われたのかもしれません。



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 水が貯まっており排水設備に見えますが、手榴弾溝としての機能もあったのかもしれません。







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海岸地帯より西を。
切り立った崖が続いていますが、奥の崖のさらに反対側がユタ・ビーチの方向になります。







P2276127.jpg

 オック岬の最先端になります。
 特徴的な形の岩は今も現存しています。

 第2レンジャーがこの30mもある高さの崖をよじ登るにあたっては、縄梯子やロケット発射式のカギ付きロープが使われましたが、ロンドン市消防局から拝借した伸縮式のはしごも投入されました。







 映画"The Longest Day"(『史上最大の作戦』)でも登場した場所です。




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 岬の先端にあるバンカーには記念碑が展示され、内部見学ができるように整備されています。




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 錨の形をした記念碑にはレンジャーの功績を称える碑文が刻まれています。 




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 バンカーを外側から。

 映画ではバンカー内部から射撃してくるドイツ兵に対して、レンジャーが手榴弾で応戦するシーンが描かれていました。




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 バンカーの入り口を守る銃眼

 CoD2をプレイした人ならば、これに苦しめられた人も多いのでは。
 既視感を感じると思ったら、やはりCoD2のオック岬のミッションで最後に攻略する陣地だったからかもしれません。(内部構造はゲームと若干異なってましたが、CoD2での再現はそこそこ忠実だったように思います。)






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 バンカー内部にもさらに銃眼が設けられています。

 ただ、これが使われる状況になってしまうと、陣地としてはもはや持ちこたえられそうにない状況だとは思いました。
 (入り口を固めてもバンカーの開口部から手榴弾や火炎放射で攻撃されてしまうと・・・)






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 銃眼の銃座側にまわってみると、制圧された時のものかは分かりませんが、内壁に榴弾片の跡のようなものが多数残されていました。





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 内部はライトアップされています。







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 制圧時のものかは分かりませんが天井の木板も焼け焦げています。




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 バンカーより英仏海峡を臨む。

 時期は冬でしたので季節感は異なりますが、上陸当時のような若干荒れた海面でした。
 ここから連合軍の艦艇が迫ってくるのを目にしたドイツ兵はどのような心境だったのでしょうか。









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つづく

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