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歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

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ドイツ旅行(6) ハンブルクの高射砲塔

P9067492.jpg

 朝になり、まずはベルリン中央駅のドイチェバーン(ドイツ鉄道)の窓口へ。
 後日別の場所も回るので、まずはここでジャーマンレイルパスを購入。




P9067494.jpg

 ジャーマンレイルパスはICEでも使えるんです。




P9067496.jpg

 駅のダンキンドーナツで朝飯代わりにドーナツを購入





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 ベルリンを出発して一時間半ほど。






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 ドイツ北部の港湾都市であるハンブルクに到着します。






P9067504.jpg

 ここでさらにハンブルク地下鉄に乗り換えます。






P9067508.jpg

 港湾都市といっても、エルベ川の河口から上流に100キロ遡った場所にあります。
 大型船舶が出入りできるほど大きな川ということですね。






P9067541.jpg

 地下鉄フェルトシュトラーセ駅に到着






P9067510.jpg

 駅を出て右手にそびえ立つのが、第二次大戦時に建造された"Flakturm"(高射砲塔)です。

 歴史的都市であり、重要な造船所と工場が集中するハンブルクは、かねてから重点防御都市として認識され、ヒトラーの命令により3基の高射砲塔の建設が計画されました。
 しかし、その後の「大西洋の壁」建設に伴う労働力・資材不足のため、ハンブルクに完成した高射砲塔は2基に留まりました。

 これはそのうちの1基でHeiligengeistfeld (ハイリゲンガイエスフェルト)の高射砲塔IVと呼ばれ、1942年10月ごろに完成、ドイツ国内では4番目に完成した高射砲塔でした。
 ハンブルクのもう1基の高射砲塔はヴィルヘルムスブルクにありました。こちらは戦後比較的早く解体されています。



 ハイリゲンガイエスフェルトの高射砲塔は第一世代とよばれる一番最初のタイプで、約70m四方の高さ39mの巨大コンクリート構造物でした。壁は2.5m、天蓋部は3.5m厚の鉄筋コンクリートで覆われ、空襲時の直撃弾に耐える構造となっていました。


 今日では巨大な高層ビルも当たり前になっていますが、耐爆構造かつ屋上の高射砲の射撃に耐える強度を求められた施設ですから、投入された資材と労働力は莫大なものでした。





P9067511.jpg

 下の段の張り出しには、四連装2センチないしは単装3.7センチ高射機関砲が据えられ、低空進入する敵機を迎え撃ちました。




P9067526.jpg


dual128.jpg

 上段にはこのような連装12.8センチ高射砲が4基据えられ、高高度を飛来する爆撃機を迎撃しました。





HamburgG.jpg

 高射砲塔は射撃を担当するL塔と、射撃指揮を行うG塔の2塔がコンビとなって運用されました。(塔が2つに分けられたのは、高射砲射撃時の衝撃から、測距儀やレーダー、高射算定器といった精密機器を隔離するため。)
 ハイリゲンガイエスフェルトの高射砲塔IVのG塔は、戦後も地元の郵政施設に使用されるなどしていましたが、1970年代に少しづつ爆破しながら約1年の期間をかけて解体されました。




P9067518.jpg

 L塔は今も内部構造が残っており、50年代にはテレビの放送塔としても使用されていました。





P9067523.jpg


 現在L塔にはスタジオや音楽スクール、楽器店などのテナントが入っており、分厚いコンクリートを防音設備として活かした施設になっています。
 外壁には落書きが多く、若者の集まるスポットになっているようでした。




image_slshow_einzel_0_2_20141127224221d14.jpg

 サッカーイベントなどでも使われているようです。




P9067516.jpg

 これらの配管は戦後新設された造作物かと思います。




P9067519.jpg

 階段もオリジナルのものかは分かりませんが、エレベーターはバリアフリー対応のために増設されたと思われる新しいものでした。



 最上階の5階まで行ってみたのですが、屋上に出る出口が見当たりませんでした。
 戦時中は最上階に空軍女性補助員の宿舎や、彼女たちの勤務場所である通信施設などが設けられていました。


 高射砲塔は単なる防空陣地ではなく、堅固な構造を活かして防空壕としても機能しました。それだけでなく、空調を備えた文化財・美術品の保管庫や、行政機関の書庫、臨時郵便局、貯水槽、自家発電機、入院・手術設備などを備えた病院なども備えた総合防空施設でした。
 敗戦間際には建物を焼失したハンブルクのゲシュタポが、高射砲塔内に臨時支部を設けていた時期もあったようです。




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 1944年の訓練中のハイリゲンガイエスフェルト高射砲塔の空軍補助員
 訓練中のためか、まだ笑みが溢れる補助員もちらほら。この補助員たちは15~17歳が主だったそうです。





Flakturm.jpg

 1945年焼け野原になったハンブルク市街に佇むハイリゲンガイエスフェルトの高射砲塔


 当初、爆撃機の迎撃を主任務として建設された高射砲塔でしたが、連合軍も飛行コースから高射砲塔を避けたり、チャフなどの妨害システムを繰り出してきたことで、建設コストに見合うほどの撃墜数は得られなかったようです。


 しかしその一方で、高射砲塔は多くの人命や文化財を戦災から保護しました。

 特に1943年7月のハンブルク大空襲は、イギリス側も「ゴモラ作戦」(旧約聖書で神により滅ぼされた都市)と命名するほど徹底的な都市の破壊を狙ったもので、1周間にわたってほぼ24時間体制で空襲が行われ、合計9000トンの爆弾が投下されました。この結果、一般市民5万人が死亡し、100万人が住居を失うことになりました。

 さらにこの空襲では火災によって火災旋風が発生し、自宅の地下室や防空壕に逃げ込んでも、800℃の熱風に巻かれたり酸欠によって命を落とす市民が多数いました。
 一方でハンブルク市内の各高射砲塔には、合計10万人が避難し難を逃れることができたと言われています。




P9067529_201411272305430ea.jpg

 屋上にはヤシのような植物が植えられているように見えました。


 現代人が中世の古城を見るような感覚と比較しながら、この高射砲塔も今後どのように残っていくのか気になりました。






※高射砲塔訪問時の下調べにはこちらを読んで予習しました。

ドイツ高射砲塔―連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物 (光人社NF文庫)ドイツ高射砲塔―連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物 (光人社NF文庫)
(2011/12/29)
広田 厚司

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