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歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

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國軍武器事情:漢陽88式歩槍

 国府軍の小銃としてまず挙げられるのが、「漢陽88式歩槍(Hanyang Type88)」です。
 これはドイツのGew88を漢陽兵工廠でライセンス生産した物で、そのことから「漢陽造」などとも呼ばれます。(漢陽兵工廠は清朝末期に洋務運動の功労者であった張之洞により設立された洋式軍需工場でした。)

 Gew88はドイツ初の無煙火薬小銃でしたが、第一次世界大戦の直前期になると、ドイツで主力ライフルとして採用されていたのは後継のGew98で、Gew88は1900年代初頭には既に旧式化していた銃でした。
 しかし中国では予算不足や内戦といった事情もあって、漢陽88式に代わる新式小銃への移行ができない状況が続きます。さらに設備が老朽化すると漢陽88式の生産も減少傾向に陥りました。

 1920年代に中国国民党が勢力を拡大し有力都市を占領すると、漢陽をはじめとする銃器工廠も整備されたため、漢陽88式の生産は安定します。そして国民党による統一後は、Gew98やKar98(モーゼルM1924)などの新式小銃の輸入・ライセンス生産が行われ、それらを中正式歩槍として国産化することが決定されると、このような旧式小銃の生産規模は縮小することになりました。

 ところが日中戦争が勃発し銃器の需要が急激に増えると、充足数を間に合わせるため、もともと生産設備の整っていた漢陽88式の生産延長が求められました。 さらに日本軍の侵攻により、新式小銃の生産基盤を失ったり、爆撃で生産ラインが滞るといった事態が発生すると、漢陽88式の需要はますます増し、最終的に1944年中頃まで生産されています。


 こうした骨董品的な銃を支給された前線の兵士からは、旧式銃を意味する「老套筒」などと呼ばれて親しまれ、戦後の国共内戦を経て、朝鮮戦争まで第一線で用いられています。



 さて、漢陽88式ですが、Gew88の国産型という割には、印象がちょっと異なります。

Hanyang_88.jpg
一般的な漢陽88式(外筒を省略した型)


gew88s.jpg

こちらはドイツのGew88
一番下のものだけトルコ製Gew88

 さてドイツ製のGew88と上の漢陽88式の写真を比較すると、漢陽88式の方が銃身が細いことが分かります。(むしろ漢陽88式はトルコ製Gew88に似ています)

 Gew88には銃身の保護、またフリーフローティングバレルを企図して銃身を覆うカバーが設けられていました。(銃身の木製ストックに接する部分と接しない部分で放熱量の差が生じ、銃身の膨張の差が命中精度に悪影響を与えると考えられたためです。現代の狙撃銃でも銃床から銃身を浮かせる処置が取られてます。)

 この銃身カバーは1904年に中国側で簡略化のために省略されており、漢陽88式小銃として生産された物の殆どがこの簡略型でした。
 第一次世界大戦でGew88を使用したドイツでも、Gew88の銃身カバーは内部に水分を貯めこんでサビを発生させるものとしてあまり好まれておらず、Gew98等の後継銃からは姿を消した構造となっています。



zeijiangmilitia88.jpg
 オリジナルのGew88型の銃を使用している兵士の写真も見られます。


P8291418.jpg

 Gew88の騎兵銃モデルであるKar88も使用されています。
 こちらは全長が短縮され、ボルトハンドルが曲げられているのが特徴です。




上海
 第二次上海事変における中央軍兵士
夏服のため半ズボンも着用。



gew88japan.jpg
 海外でこの写真が「日本兵がGew88を持っている写真」として紹介されていたのですが、脚絆の巻き方が中国式であることや、靴や装備からして日本軍ではなく、保安隊のような中国人の対日協力者と思われるとのことです。


 ちなみに日本軍の侵攻で漢陽や金陵といった兵工廠が内陸の重慶に疎開してきますが、その結果としてそれまで各地にバラバラに存在していた漢陽88式の製造ラインが重慶に集中し、逆に生産の効率化に繋がりました。1939に疎開先の重慶で製造が再開された漢陽88式は「七九式歩槍」と名称が変更されています。




Shanghai_1932_military_police.jpg
 1932年の第一次上海事変における中国軍憲兵



chinese nationalist army soldiers using rifles and a grenades during the battle of shanghai (july 1937)
 1937年の第二次上海事変における国府軍
 柄付き手榴弾を投げる兵士の両脇の兵士が漢陽88式を持っています。
 手榴弾のキャップも空けていないので、ポーズをとった典型的な宣伝写真





a Victorious chinese soldier posing with his rifle after the battle of Taierzhuang in 1938
 1938年の台児荘の戦いで日本軍に勝利した際の中国兵。(中国にとっては、抗戦以来初めて敵を後退させることができたこともあって、大々的に勝利したとのプロパガンダ声明が行われました。)

 柄付き手榴弾用のバンダリアですが、これは4つ携行できるタイプのようです。



1938_June_Yellow_River.gif
 1938年6月の黄河における国府軍
 一番手前の兵士が漢陽88式を その奥に二人でZB26を運ぶ兵士が。

 渡河作戦中というよりは、この時期に国府軍は日本軍の進撃を阻止すべく黄河の堤防を決壊させる「黄河決壊事件」を起こしているので、水浸しになった流域での行動と言った方が正しいです。 
 日本軍の進撃を妨害しようとした国民政府ですが、遅滞戦術としてある程度の効果があった一方、流域の住民も犠牲になったことで、これらの住民の国民政府からの離反も招いてしまいました。




chinese soldiers on training field
 時期不明 訓練中の国府軍  (師団章が読み取れない)
 襟章から横で指導しているのが一等兵だと分かります。



well equipped chinese nationalist army infantryman (china 1940)
 1940年の国府軍の少年兵
 中にセーターでも着込んでいるんでしょうか、珍しく襟ホックを外しています。

 柄付き手榴弾を2個携行できるバンダリアを持っています。



chinese soldiers inside transport giving thumbs up (burma 1942)
 1944年雲南省

 規格帽タイプの帽子と、チンストラップのついた丸い帽子が混用されています。




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Comment

Pauls様

お役に立てましたでしょうか?
国府軍の軍備増強も頑張ってくださいね!^^

おお情報どうもです^^

先ほど発見しました。
日本軍水筒での代用も考えていましたが、これは一応確保しておきたいですね。

こんばんは。
なんか、今ヤフオクで国民党軍の複製水筒が800円で出ていますよ^^
水筒の複製品はお持ちですか?
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