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歐慶祥

Author:歐慶祥
(中文名は台湾の友人に名付けてもらいました)



Models:WW2を中心にAFV中心ですが、ストックがたくさんある積みモデラー。なんだかんだでドイツ戦車が多いです。最近は英軍戦車と歩兵の情景も作りたいと思案中。 艦船や航空機にもちょっかいだしてます。



Military:ちょくちょく軍装品集めてましたが、黒歴史化して放置したり処分したりで退却中。 たまにWW2中華民国軍をいろいろ(余波で英軍、現用台湾も)調べてはいます。




記事は筆者の知識不足もあり、随時加筆修正しています。お気づきの点ありましたら、指摘して下さると幸いです。

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國軍武器事情:ZB26軽機関銃

・ZB26軽機関銃 (ZB26式輕機槍)

20110623085152737.jpg

・概要
 第一次大戦後、各国で軽機関銃の開発が進む中、チェコスロバキアが1926年に完成させたのがZB26軽機関銃です。信頼性の高い機関部に銃身交換の容易さから優秀な軽機関銃とされ、比較的安価だったことから世界中に輸出されました。中国でも輸入および国産化がなされ、漢陽八八式中正式盒子砲と並び、抗日戦争における中国軍の代表的な武器となっています。

 抗日戦争初期においては、日本軍の軽機が6.5mm弾を使用する十一年式軽機関銃だったのに対して、7.92×57mm弾を使用するZB26の射程と威力、および稼働率の優秀さは日本側の記録などでも度々取り上げられており、「チェッコ機銃」「ブルーノ機銃」「無故障機関銃」などと呼ばれ、鹵獲して使用されたり、九六式軽機関銃のお手本になったりしたことが有名です。
 もちろん中国側でもその高性能ぶりを実感しており、兵士達から「捷克式輕機槍」(チェコ式軽機関銃)や「二六式輕機槍」と呼ばれながら親しまれていました。



P8291425.jpg
 軍史館のZB26



Japanese-ZB26-in-China-1937.jpg
 鹵獲したZB26を使用している日本兵(1937年)




・中華民国への輸入と国産化

 ZB26が開発された次の年、北伐が終わりに近づいた1927年には早くも国民政府はチェコからZB26の輸入を開始していました。チェコ本国から中国への輸出は、チェコがドイツに併合される1939年までに総数3万2272挺にのぼったとされています。
 一方で中国はZB26の国産化(ライセンス生産ではなく無断コピー)を計画し、1927年にはまず大沽造船廠でコピー製造が開始されました。(名前の通り元々は1880年以来清国北洋水師向けの艦艇を建造していた造船所でしたが、1892年からは武器の製造も行なっていました。) これに続いて他の兵工廠もZB26の製造を始めます。しかし工業規格の概念が根付いておらず、銃の個体ごとのパーツの互換性が無く、出来上がったZB26のコピー品はチェコ本国の工業規格とも異なる模造品でした。
 1902年開発のマドセン機関銃を最先端技術として、試行錯誤しながら銃器を製造していた中国の工業力にとって、高い工業技術を要するZB26の製造は困難だったのです。

 この時期に中国が導入していた軽機関銃としては、ソ連から輸入したDP28機関銃があったものの、高い工作精度と高強度のクロムモリブデン鋼を必要とする割には作動信頼性ではZB26に及ばず、またフィンランドから導入していたラティM1926軽機関銃も、作動信頼性に劣る点と銃身交換が困難な点からZB26に劣ると評価されており、国民政府としてはなんとしてもZB26の自給を望んでいたのでした。

 また現代の中国でこそ自国でレアメタルを産出できるものの、当時の中国はクロムやニッケルを輸入に頼っていました。この点において、それほど高強度の鉄鋼を必要としないマドセンやZB26は中国の鉄鋼生産事情にも合致していたと言われており、強くZB26を求める要因になったと言われています。



NRA_soldiers_firing_inside_Sihang_warehouse.jpg
 1937年の第二次上海事変・四行倉庫の戦いにおける国府軍兵士




 どうにかして規格品のZB26を国産化したい国民政府はチェコと交渉を重ね、1934年に中国人技師をチェコに派遣して技術を習得させたほか、1936年にはチェコスロバキア兵器会社(ブルーノ兵器工廠)と正式に中国国内に工場を建設することに同意します。(チェコとしては中国にVz.24(チェコ製の短縮型モーゼル)の輸出実績があったので輸出拡大の好機でもありました。) しかし工場誘致計画は翌年7月の蘆溝橋事件によって途中で挫折してしまいます。

 そのため国民政府は、中国国内の従来の製造ラインは稼働させたまま、なんとか工業技術を向上させていく方向に軌道修正することになります。
 まず21工廠(現:南京金陵兵工廠 当時は重慶に疎開して操業)において、生産工程が厳重に管理されたZB26のライセンス生産を行うこととなりました。当初は在来の非規格品のZB26のパーツを再加工したり、できるだけ削りだし加工ではなく鍛造を取り入れることで資材の3分の1以上を節約することから始めていましたが、1942年ごろには規格の統一されたZB26を安定的に供給できるようになり、41年までは年900挺だった生産量も1945年には年2900挺に大きく伸び、21工廠は日本の敗戦までに合計9313挺を軍に納入するに至っています。

 軍閥出身にして国民政府の重鎮だった閻錫山の勢力地・太原では、1935年から西北鑄造廠でZB26の生産を行うも、1937年に太原が日本軍によって占領されてしまったため工廠を四川に疎開させ、廣元分廠を設立して1941年から月産150挺から200挺程度を製造していました。

 マドセン機関銃の製造ラインを建設するはずだった昆明の51工廠では、日本軍の援蒋ルート爆撃による生産設備の喪失のため、急遽生産ラインをZB26に切り替え、日本の敗戦までに15000挺弱のZB26を生産しました。

 変わったところでは、1938年にチェコ式の製造設備を入手してZB26を生産していた浙江鐵工廠において、ガスパイプを円柱状から角柱型にした生産簡略化型(七七式機槍)を月産60挺のペースで生産していたとされています。



chinese nationalist army soldiers in the marco polo brigde (july 1937)

 キャプションによると「1937年7月に盧溝橋に展開する兵士」とのこと。この説明通りだとすると盧溝橋事件の前後なので当地に展開していた宋哲元の第29軍の兵士かと思われます。




China-soldiers-German-trained-px800.jpg
 徳式(ドイツ式)部隊における訓練写真
 ZB26の射手の隣にいる装填手は、バンダリアからC96等の拳銃を携行していることが予想されます。



667d1532.jpg
 同じく徳式部隊における訓練写真
 こちらの装填手は腰のマガジンポーチ、手元の様子から小銃を携行していると思われます。




140dct0.jpg
 第8軍103師308團第3營の訓練において将校がZB26の操作を指導している写真(1945年3月)
 この第8軍103師は1944年に拉孟の戦い(寡兵の日本軍が玉砕した戦いで有名)にも参加している、雲南遠征軍の一部でした。
 遠征軍に多い特徴として、襟章などの徽章が無く、さらにこの兵士たちは帽章も付けていないように見えます。将校が服と異なる兵用生地の帽子を被っている点、また雑多なベルトやゲートル、靴の着用が見られます。





zb26ustrainer.jpg
 ZB26の操作訓練を視察する米軍のHaig Shekerjian准将



british equiped chinese soldiers using a bren light manchine gun (china 1942)
 部隊章から185師の所属、また襟章から射手が上等兵だと分かります。皿ヘルに青天白日の徽章がついています。1942年3月に長江上流地域で防衛についていた185師の兵士とのこと。185師は武漢を警備していた歩兵旅からなり、蒋介石警衛部隊のひとつに数えられる精鋭師団でした。



11f9cf67e26g214.jpg
長江の南岸付近の陣地における兵士。 夏服を着用しています。



P8291396.jpg

P8291395.jpg

 軍史館に展示されていた「パフラヴィー朝イラン帝国空軍の将軍から中華民国軍の将軍に寄贈されたイラン製ZB26」
 どの時期に寄贈されたのか不明ですが、イラン帝国空軍そのものは1920年から存在しています。
(余談ながらイランはGew98などドイツ製小銃をライセンス生産していたり、戦後も7.62mm弾仕様のモーゼルを製造していたりしました。)




1324524101929_232.jpg

 ZB26はその後も朝鮮戦争で使用された他、人民解放軍ではこの写真のようにAK47(56式自動歩槍)の弾薬とマガジンを使用できるように改造したZB26を80年代まで使用しています。(手前がAKマガジンのブレン軽機関銃、奥がAKマガジン仕様のZB26)
 現在、抗日戦争を描いたドラマや映画で登場するのはこのAKのマガジンがついたZB26であることが多いです。



参考
http://club.china.com/data/thread/1013/2735/50/47/9_1.html
http://zh.wikipedia.org/wiki/ZB26%E5%BC%8F%E8%BC%95%E6%A9%9F%E6%A7%8D



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Comment

No title

>烈士さん

自分も中国がZB26のライセンス生産をしていると知った時から、はたしてチェコの工業製品を簡単にラ国できるものなのかどうか疑問ではあったのですが、調べてみて生産に苦労していた一面を知り納得がいきました。

混用については、記事の通り21工廠などでパーツの再加工などが行われており、規格を後から合わせたものもあるようですが、そういった工廠と連絡できない地方などでは依然として独自規格のZBが存置されていた可能性もあるかと思います。

No title

>どなるさん

軍装もあまりやらなくなったので、メインテーマ変更も兼ねて刷新してみました。

布製または革製のバンダリアがあったようです。

No title

はじめまして

中国のZBの国産化がこのような経緯だったのは初めて知りました。
チェコと同規格の銃と、劣化品(?)の混用があったら混乱しそうですね。

No title

ブログのデザインが変わりましたね。

ZB26は好きな軽機関銃の一つです。
専用のマガジンポーチはどんなものがあったのでしょうかね。
詳しく見てみたいですね。
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